羽仁進さんが書いて下さった新聞記事のタイトルは「意外な友情」

国際大会のリーフレット 僕がまだ言友会で活動していた時代、1986年、京都で開催した第一回吃音問題研究国際大会のときの資金集めのために作った、「500円2万人カンパ運動」のリーフレットには、羽仁さんは、次のメッセージを寄せて下さいました。

 「皆さんとお会いしたこと、『吃音者宣言』のこと、いつまでも忘れません。話すということ、聞くということについて私たちが、もう一歩深く考えるヒントがそこにあるからだろうと思っています」


 国際大会の2年後、1988年8月21日、羽仁進さんは、朝日新聞に、僕たちとのかかわりを書いて下さいました。タイトルの「意外な友情」に、僕は、どもる仲間として親しみを持ち、先輩として応援して下さっているのだと思いました。
 新聞記事は古く、鮮明ではないので、文字を起こしました。

意外な友情 羽仁進 新聞記事 10%そのときから私は
   意外な友情  羽仁進

 それは、言葉にならない言葉であった。
 それにもかかわらず、心にひたひたと迫ってくる不思議な力があった。
 だからこそ私は、電話を切ることができなかった。
 電話のベルが鳴る。受話器をとる。それなのに、相手は何もしゃべらない。それでいてはっきりと、だれかが電話線のむこうにいることが感じられる。
 他の時なら、いたずら電話と思って切ったかもしれない。しかし、そんなものでないことを感じさせる力が、その電話にはあったのだ。とっさに私は
「もしかして、あなたは、どもられるのじゃありませんか?」
と、私自身もどもりどもり、電話のむこうに呼びかけた。
 それが、言友会の人たちとの、はじめての出会いであった。
 吃音(きつおん)という共通の悩みをもつ人間が集まるという発想も、まず意外であった。その熱意に押され、その意外さにひかれて、出かけていった会合は小さかったが、私の学んだものは大きかった。私はもう一度、自分自身のどもりについて考えを深めてみようと決心した。それは当然に、言葉とは何か、心が通じるとはどういうことか、人間とは何かを、もう一度考え直してみることになった。そして当然のことながら、幼年期以来の自分のぶざまな姿や、それを何とか切り抜けて生きようと悪戦苦闘した姿を、まったく違う光の中で見直すことでもあった。
 それから何年かして、言友会の発した「吃音者宣言」がもう一度、私に新鮮な衝撃をあたえた。
 「どもりは、ことによれば、一生直らないかもしれない」というその宣言は悲痛のように聞こえたが、同時に、まことにさわやかなひびきをも持っていた。クールといいたいほどに淡々としていながら、その後ろに激しい炎が燃えていた。そしてなによりも、深い人間観に到達した喜びが最後に感じられるところがすばらしかった。
 どもり、という外形にあらわれた不具性が、みずからの内部の深奥とつながっていることの発見は、まさにコペルニクス的逆転であった。それを学者が客観的に研究して発見したのではなく、何とか世間に迷惑をかけたくないと自己治療に悩み抜く日夜を通して、本人がみつけ出したことに、私は共感した。
 昨年、言友会は、京都で国際大会をひらき、その吃音的人間論は世界に賛否のうずをまきおこした。あの、小さな小さな集まりが、ここまで成長したことは、私にも限りない勇気をあたえてくれる。しかし、それ以上に、私を刺激したのは、親しき友と競争しているといううれしさである。私の中で、少しずつ形を作りはじめている、不具の者の目による世界像、というイメージに、言友会の仲間たちも近づきつつある。今度、彼らと驚くべき出会いをする日はいつだろう。

 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/5/14