吃音の大先輩、映画監督・羽仁進さん

 比叡山へのドライブの途中、偶然みつけたひとつの碑に刻まれた文字から、間直之助さんの紹介を4回続けました。
 日本吃音臨床研究会のホームページでは、どもる著名人を、ジャンルごとに分けて紹介していますが、その人たちの著書の中に、また実際にお会いしてお話した中に、苦労はそれなりにあったけれど、上手に吃音とつき合ってきたヒントもたくさんつまっているようです。その人たちと同じようにはいかないけれども、僕たちが生きる上で、参考にできることがきっとあるでしょう。
 そう考えて、まず真っ先に浮かぶのが、映画監督の羽仁進さんです。

羽仁進1 2020年5月9日(土) 午後11:00〜午前0:00(60分) NHK Eテレの「映画監督 羽仁進の世界」で久しぶりにお顔を拝見し、羽仁さんとの交流を懐かしく思い出しました。
 羽仁さんに初めてお会いしたのは50年も前のことです。その時の出会いを、羽仁さんは、「意外な友情」というタイトルで、朝日新聞に書いておられます。それは後日紹介します。
 最後にお会いしたのが、2000年秋でした。僕たちが20年間続けていた2泊3日のワークショップである吃音ショートコースにゲストとして来て下さり、「吃音と人間関係−吃音の豊かな世界」として、90分の講演をして下さいました。楽しそうに、どもりながら話して下さったことが印象的でした。その内容も紹介したいと思います。
 講演の最後に、「吃音の奥にある豊かな世界をみなさんと一緒に見つけ、発信していきましょう」と話して下さいました。羽仁さんとのこの約束は、常に僕の中にあって、いつも意識し続けています。吃音に苦労し、悩みながらもその奥にある、吃音のもつポジィティヴな面にも目を向けてきました。
 羽仁さんの著書の中には、たくさんの吃音にまつわるエピソードが書かれていますし、直接にお聞きしたエピソードもたくさんあります。かつては動物の記録映画を作っていた関係で、よくテレビ番組に出ていたのですが、20年前に現役を退いてからはテレビ出演もしなくなったのか、若い人はあまり知らないようです。羽仁進さんについて、知らない人も増えた今、いい機会だと思いますので、何回かに分けて、羽仁進さんを紹介します。
 まず、2020年5月9日放送の映像の中で、羽仁さんが語ったことばから紹介します。
 番組の概要として、次のように紹介されていました。

映画監督 羽仁進の世界
すべては、『教室の子どもたち』からはじまった

 いま世界的な再評価が進んでいる映画監督・羽仁進、91歳。戦後日本のドキュメンタリーに革命を起こしたと言われる『教室の子供たち』や、黒沢明の『用心棒』をおさえてキネマ旬報第一位に輝いた『不良少年』など、常識にとらわれない斬新な作品を世に送り出してきた。その試みは、日本初のヌーベルヴァーグとも言われ、多くの映像作家に影響を与えた。その一人である是枝裕和監督と共に羽仁作品の革新性をひもといていく。

☆ドキュメンタリーとは
羽仁:ドキュメンタリーというのは、あったことを記録するんじゃなくて、映画を撮ったときから生まれてきた新しいものを撮ること。僕にとっても新しいけれども、写されている子どもにとっても新しいことです。両方にとって不思議な「出会い」しかないわけだ。それを追いかけるのが、それこそ本当のドキュメンタリーだ。

羽仁進2
 ハーバード大学のフィルムアーカイブスディレクターのヘイデン・ゲストは、「かつてのドキュメンタリーは、創造性のある分野だと認識されていませんでした。プロパガンダと同義語だった時代もありますし、会社や政府の情報を伝えるPR作品だと見なされていました。その中で、羽仁はドキュメンタリーを芸術としてとらえました。これは、革新的なことでした」と、評価しています。

☆『教室の子どもたち−学習指導への道』1955年
 1955年、東京の下町の小学校で初めての試みがなされていました。教室にカメラを設置し、生の子どもたちの姿を撮るということでした。
 「教えにくい子どもにどう教えるか」がテーマで、文部省はこれまでと同じように、役者にせりふを与え、演技させるつもりでいたようですが、羽仁さんは、自然のままの子どもを撮るという企画を提出しました。当時、そもそも人間の自然をそのまま撮ることはありませんでした。記録映画も、台本に基づいて演技させて撮っていたのです。それに対し、羽仁さんは、子どもたちのおもしろそうなのを撮ろうと思っているだけでした。カメラを堂々と教室の中に入れて、子どもがカメラに慣れるまで待つという方法をとりました。演技させたり、指示したりを一切排除した撮影です。

羽仁:そういうふうな知恵はあんまりない。そんなことをしたら、おもしろくない。その場その場で出会ったときがおもしろい。そういう瞬間をつなげていくのが1番おもしろいことだと(考えていました)。教室で見ていたら、休み時間のとき、いつもひとりでいる子が気になりました。でも、その子がみんなと交わる点をなかなかみつけられませんでした。
 

 東京芸大の筒井武文は、「羽仁さんの映画は、それまでの映画の文法を外れている。ヌーベルバーグとは新しい波を意味しますが、世界で初めてのヌーベルバーグと言っていい」と言っています。是枝監督も、「子どもたちは、いきいきとしていて、目的が先にない」と言います。
 
☆子どもたちへのまなざし
羽仁:教えにくい子どもというのは、自分なりの考えがある子どもも結構いる。むしろ、そういう子が多いかもしれない。それを実際、下町の小学校に行って、写してみたい。僕自身がものすごく「教えられない子ども」、教えにくいどころか、通用しない子どもだった。それでも、大人になって、これだけちゃんと生きているんですからね。


 吃音のため、自分の気持ちをうまく伝えられなかった羽仁さんは、友だちより動物と親しんで幼少期を過ごしました。1934年、祖母の設立した自由学園の初等部に入学しますが、羽仁さんは学校が大の苦手でした。朝、家を出て学校に向かうのですが、途中の雑木林の前で足が止まり、いつしか生き物たちの観察を夢中になって過ごしてしまいました。

羽仁:僕は変な言い方をすれば、友だちがいないということになるんだけど、そうじゃなくて、人間は人間だけじゃなくて、あらゆる生き物と全部友だちなんだと、人間でも動物でも、自分と違うものを嫌うっていうのはおかしい、と子どものときから思っていた。異質だからおかしいということは、ないと思う。異質だから素敵だということはあるわけじゃないですか。リスはどんどん木の上をのぼっていく。でも、僕はできない。だから僕はリスを素敵だと思って感心する。そういうふうに違うところを感心するってことがなきゃ、人生なんてつまんないんじゃないですか。


 あるとき、オオサンショウウオをみつけます。自然に返すことになったとき、オオサンショウウオが羽仁さんに抱きついてきたと言います。羽仁さんも、そのとき、自然にオオサンショウウオに「ありがとうございます」という気持ちになったそうです。

羽仁:こういう生き物だって、「個」として判断してるんじゃないか。僕も種類の違う人間だけど、やっぱり「個」として判断している。「個」同士の間のつながりっていうものがあるんだなと思った。「教室の子どもたち」を撮ったときから、僕はその一人ひとりの子どもが「個」である瞬間をみつけたい。そういうことが僕にとって、子どものときからおもしろくてたまらないこと。サンショウウオにも「個」があるんだから、人間にも「個」があるだろうと。(思いました)


 羽仁さんの言う「個」というのは、たとえば「どもる子ども」と十把一絡げ(じっぱひとからげ)にして、一律に言語訓練をするのではなく、僕たちが大切にしてきた、「子どもを一個の主体として育てる」ことと通じることだと思います。一人一人がその子どもなりの思いや考えをもっている、それを大切にしようということだと思います。
 羽仁さんの、子どもへのまなざしは限りなく優しい。それは、次回紹介する『絵を描く子どもたち−児童画を理解するために』の映画によく表れています。  (つづく)

 日本吃音臨床研究会会長 2020/05/12