間直之助 3

 ドライブの途中でみつけたひとつの碑から、これまでいろいろなところで書いてきた間直之助についての文章を紹介しようと思うようになりました。
 そのはじめに、NPO法人大阪スタタリングプロジェクトの会長の東野晃之さんが、2008年10月に発行された機関紙「新生」NO.402号の一面記事に書いた文章を紹介します。東野さんの了解を得て、転載します。

   
彼の生き方
      大阪スタタリングプロジェクト会長  東野晃之

「彼の生き方」本の表紙 吃音の悩みが真っ只中の頃、家族にも吃音を隠し、誰にも相談できなかった。どもりのままでは将来、社会に出られないと、自分の未来像が描けず思いつめた学生の頃、新聞の連載小説に目がとまった。「ドモリ」という文字が目に飛び込んできた。どもる主人公の生き方を描いた遠藤周作の「彼の生き方」だった。毎週の連載日、新聞が配達されると小説欄をこっそり読み、切り抜いて残した。主人公は小学生の頃、どもるために学校で孤立し、不当に苛められた。怒鳴り返そうにも怒ったとき、いっそうみじめにどもるので、級友に弱虫と言われても言い返せなかった。唯一心を開き、親しめるのは、学校や自宅で飼われる小動物と接するときだった。青年になった彼は、ニホンザルの研究者になっていく。
 「彼の生き方」は、いつしか読むのをやめ、小説欄も見なくなった。話の展開に全く興味が持てなくなったのだ。人間に相手にされず、サルの餌付けに没頭する主人公の姿が、暗く、みじめに感じられた。主人公の彼に自分自身を重ね、吃音を克服し、明るく生き方が変わっていく姿に将来への希望を見出したかった。しかし彼の生き方は、期待を裏切ってすすんでいった。途中で投げ出した「彼の生き方」は、どもるために人とかかわれず、弱く、不本意な人生を生きた主人公の印象を残した。小説のモデルが、ニホンザルの保護と研究に生涯を捧げた間直之助だったのを、ずいぶん後になって知った。
 30数年振りに、懐かしくなって文庫本となった「彼の生き方」を読み返した。記憶の底に眠っていた暗く、みじめな印象とは全く違い、少年期、青年期の話の展開に引かれ、一気に読み終えた。間直之助が手掛けたニホンサルの餌付けが、関西の嵐山や比叡山で行われたのをはじめて知った。「彼の生き方」の最後は、感動の余韻を残した。サルの自然保護を妨害する観光開発業者一派と対立する主人公が、サルを守るために向けられた銃の前に立ちはだかり、懸命にどもりながら叫び、説得する場面は思わず涙が出た。どもることが、生き方に影響を及ぼしてもそれもまたひとつ人生だ。いろいろな生き方があっていいのだ。記憶の中の小説との違いとともに、どもる主人公に対する思いが以前と全く達い、変わったことに驚いた。
 学生時代、新聞の連載小説として書かれた「彼の生き方」を最後まで読んだとしても感動はしなかったように思う。どもる自分を否定し、「吃音が治らず、どもりのままでは、つまらない人生しか送れない」と考えていた私には、小説のどもる主人公やモデルとなった間直之助の生き方を受け入れることはできなかっただろう。30数年の時を経て、私の吃音観が変わったことをこの本を読み返しあらためて気づかされた。どもる自分の未来像や人生観は、吃音をどうとらえるか、によってずいぶん変わるようだ。

2008年10月 「新生」NO.402号


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/5/10