サル学の間直之助さん(2)

 前回、比叡山のドライブで思いがけずに、間直之助さんの碑に出会ったことを書きました。間直之助さんのことを久しぶりに思い出し、資料を探していたら、間直之助をモデルに小説を書いた遠藤周作の朝日新聞記事が出てきました。
猿の愛情の本の表紙 また、古本屋で買った間直之助さんの著書『猿の愛情−ニホンザルの生態』(1954年・法政大学出版会)もみつかりました。褐色に変色した、定価280円の本です。サルを自分の子どものようにやさしくみつめ、著者自らが撮影した生態写真を豊富に掲載したものです。まさに、「サルになった人間」のようです。
 遠藤周作さんの1992年の新聞記事を紹介します。

万華鏡
サルの思い出
 よく晴れた元旦、部屋を暖めてゆっくり、ゆっくり年賀状の束を見る。これが私にとって何よりもお正月らしい楽しみだ。夕方、花房山の仕事場に寄り、年末から読んでいる立花隆さんの「サル学の現在」の頁をひらく。
 日本のサル学は世界でも一流である。それだけに立花さんが対談されているサル学の研究家たちはそれぞれ実に刺激的な話を語っておられる。ひきこまれて周りが真っ暗になっても読んだ。
 私が存じあげていたサル学の研究家に間直之助先生という方がおられた。先生は少年の頃、発音が不自由な時期があったため、近所の子供と遊べず、仕方なく犬や猫を友だちにしたことから次第に動物に興味を抱かれた。東大の動物学科に進まれたのも更に京大の心理学科に入学されたのも、この少年時代の思い出が原点になっておられる。
 私は先生の持っておられるそんなロマンチシズムが好きで、後に先生に助けを頂きながら、サル学の勉強をする男を主人公に「彼の生き方」という小説を書いた。
 取材の頃、先生のお供をして比叡山に登った。山は時折、風にのって粉雪が舞う日で、先生の背負ったリュックサックにはサルに与える南京豆がいっぱいにつまっていた。
 山に入っても私の眼には一匹のサルも見えない。だが突然立ち止まった先生が「オーオーオー」とターザンのように谿(たに)に向けて叫ばれると、またたく間に猿の群れが林のなかや斜面の灌木の間から出現した。仰天した私を一匹の大ザルが岩の上から不快そうに見ていた。
 「あれがボスです。でも今日は彼の知らんあなたが来ているので、機嫌悪いです」
と先生は言われた。南京豆を投げながら先生からサルの群れの構成やボスの話や群れを出ていく一匹ザルの話をうかがった。
 「先生が幼い頃おしゃべりになるのが御不自由でなければ、現在のようにサル学との結びつきはなかったかもしれませんね」
と私が申し上げると
 「そうだ、と思います」
と先生は真剣にうなずかれた。
 卓上の灯をともして立花さんの「サル学の現在」を読みながら、私はもう亡くなられた先生のことをしばらく思いだしていた。先生のお助けをえて書いた小説の文庫本に、異例のことだが先生は「あと書き」まで書いてくださったからである。
 年齢をとるにつれ私は人生には無意味な事は何もないと思うようになった。間先生の場合も少年時代、吃音でなければ生涯をサル学に捧げられなかっただろう。吃音は先生の人生探求にとってすべての出発点になったのだ。それは先生の御意志だけでそうなったのではなく、眼にみえぬ大きな力が先生をその方向に向かわせたのでもあろう。
 数年前、私はある女子中学生の作文を読んだことがある。その女の子の弟は知恵遅れだった。
 「私は小学生の時は弟のことを悲しく思いましたが、今は少しちがいます。弟がいるため、私の家は父も母も姉妹たちも皆、助けあっているのです。弟がおればこそ、と考えるようになりました」
 その作文を読んだ時も同じ気持ちを感じた。もちろん、この女の子の作文だけでは彼女の家庭の苦労が割り切れるとは思わぬが、ふかい意味がそこにあることは事実だ。
 サル学は研究が進展するにつれ、わからぬことも次から次へと出てきたようだ。私も年齢をとるにしたがい、人生や人間にわからぬ事が更に深くなった。しかし、それゆえ小説家としても人生を包む、眼に見えぬ深い働きを余計、感じる。
            朝日新聞 1992年1月12日  万華鏡  遠藤周作


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/5/9