石川県教育センターとの長いつきあい 卒業式の経験

 先日、1本の電話がありました。長いおつきあいだった、石川県教育センターの教育相談課長だった徳田健一さんのお連れ合いからでした。体の調子があまりよくないとは聞いていたので、嫌な予感がしたのですが、「実は、今月7日に亡くなりました」とのことでした。ずっと『スタタリング・ナウ』を購読し、支援して下さっていました。

 徳田さんと初めて出会ったのは、30年ほど前でしょうか。九州大学の村山正治先生の九重エンカウンターグループに参加した時に出会い、その後、石川県教育センターで行われる、石川県採用の全新任教員の一日研修を10年間続けたり、エンカウンターグループ、アサーションの研修、引きこもりの研修など、たくさんの研修の講師として僕を使っていただきました。徳田さんだけでなく、歴代の教育相談課の課長から、研修の講師依頼をずっと続けて受けていました。
 お電話の後、寂しい気持ちがいっぱいになりながら、いろいろと振り返っていたのですが、徳田さんに、『スタタリング・ナウ』に寄稿してもらったことがあるなあと思い出しました。NHK教育テレビの「にんげんゆうゆう」の番組を見ての感想を書いていただいていました。昔の「スタタリング・ナウ」を引っ張り出してみると、「弱さは強さ」というタイトルで書いていただいていました。2000年8月号でした。そこには、僕との出会いは、9年前とあります。その翌年から石川県に研修講師として行っていたとのこと。ということは、1992年から、研修の講師として石川県に行っていたことになります。
 徳田さんも、どもる人です。いろいろな苦労はあったでしょう。僕が知っている徳田さんは、穏やかで、聞き上手な人でした。いただいた原稿に、最も思い出したくない思い出として、教師になって3年目の卒業式のことが書いてありました。竹内君の名前が言えなかったということでした。「テッカ巻」を食べ損なうとも書いてありました。
 この徳田さんの原稿を読んでいた、僕の知り合いの中学校の教師が、やはり初めての卒業式を控えて、呼名が不安になり、僕に電話で相談してきました。そして、徳田さんと話をしたいと言ってきました。電話番号を教えたら、早速電話をして、いろいろと話を聞いてもらったそうです。そのときのことを、その教師は、こんなふうに書いています。

 
(前略)不安が最高潮に達したのは、卒業式を一週間後に控えた頃だった。宵の口にすっと寝付いたものの、1、2時間ほどで目覚めてしまう。その後、卒業式のことが繰り返し繰り返し脳裏に浮かんできて眠れなくなる。寝床の中で、神経が高ぶっていく。眠りたいけど、眠れない。そんな時がだいぶ続いた後、起き上がり、昨年8月の「スタタリング・ナウ」を探した。石川県教育センターの徳田健一先生が寄稿された文章を読むためである。
 最も思い出したくない、教師になって3年目の卒業式。「タケウチ」のタが出てこず、苦心してようやく読み上げたという体験を綴った文面だ。これまで大阪吃音教室や吃音ショートコースで卒業式でそんな体験をした教師がいるのは聞いたことがあった。どうしても名前が出てこず、教頭が代わって読み上げていたことが自分の学生時代にあったと言っていた人もいた。しかし、文章で読むというのは初めてだったので、印象深かった。(中略)
 徳田先生の卒業式の体験を、もう一度、真夜中に読み返した。声が出なくなった場面が克明に記されている文面を2、3度読んだ。読み返しながら、ふと、この後、どうだったのかと、それを知りたいと思った。その夜は、朝まで眠ることができなかった。
 (中略)考えていると、ますます気はめいる。たまらなくなって、自分の気持ちの弱さに半分腹を立てながらも、伊藤伸二さんに電話をしていた。今の自分の不安を、誰かに訴えずにはいられなかった。このままの状態で、明日という日を迎えたくなかった。(中略)ひとしきり、そのときの不安を聞いてもらって、私の心は少し落ち着いたと思う。自分自身が乗り越えねばならない辛さだが、温かく包み込むように不安な思いを受け止めてもらって、宙をさまよっていた魂がようやくどこかに着地できたような感じだった。そして、石川県の徳田先生と話してみたいと相談した。(中略)
 夜分に全く面識のない人のもとへ、しかも本人が最も思い出したくないことと記されていることを尋ねることに多少のためらいを感じはしたが、厚かましくもすぐ徳田先生に電話をかけた。初めて話をする人にもかかわらず、私の不安な思いを受け止めていただき、また、ご自身のことも、率直に話して下さった。あの卒業式の後、同僚も生徒もみんな気を遣ってくれたのか、誰からもそのことについて触れられることはなかったと。そして、不安でいっぱいだというあなたの言葉は素直で、前に向かっていこうとする明るいものがあると言って下さった。この一言で、随分吹っ切れたような気がする。怖いけど、前を向いていこう。たとえどもったとしても、これからのためにもしっかり目を開いて自分を見よう、と。(後略)


 夜分遅い時間の、初めての人からの電話にも、丁寧に温かく対応して下さった徳田さん。徳田さんらしいエピソードだなあと、改めて思いました。最初に僕を金沢に呼んで下さったのは、同じ九重のエンカウンターグループに参加し、意気投合した当時の相談課長、関丕(ひろ)さんで、次いで課長になった徳田さん、そして次の課長へと。ずいぶん長い間、石川県教育センターとのつきあいが続いたことになります。改めて不思議なつながりに感謝しています。とても寂しいです。心からご冥福をお祈りします。
 徳田さんから寄稿いただいた「スタタリング・ナウ」の原稿は、明日、紹介します。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/2/29