吃音と共に豊かに生きる

 2015年まで、毎年秋には吃音ショートコースと名付けた2泊3日のワークショップを行っていました。各分野の第一人者を講師に迎え、講義だけではなく、ワークショップ・演習にこだわった合宿でした。
 映画監督の羽仁進さん、直木賞作家の重松清さん、芥川賞作家の村田喜代子さん、落語家の桂文福さん、からだとことばのレッスンの竹内敏晴さん、詩人の谷川俊太郎さん、アサーションの平木典子さん、論理療法の石隈利紀さん、交流分析の杉田峰康さん、劇作家・演出家の鴻上尚史さん、トランスパーソナル心理学の輊拆揺Г気鵝▲僉璽愁鵐札鵐拭璽鼻Ε▲廛蹇璽舛梁嫉垣擬さん、コメディアンの松元ヒロさん、笑い学会会長の井上宏さん、内観療法の三木善彦さん、人間関係論の村瀬旻さん、建設的な生き方(森田療法・内観療法)のデイビッド・レイノルズさん、当事者研究の向谷地生良さん、ゲシュタルトセラピーの倉戸ヨシヤさん、サイコドラマの増野肇さん、アドラー心理学の岸見一郎さん、認知療法・認知行動療法の大野裕さん、ナラティヴ・アプローチの国重浩一さん、福祉とエンパワメントの北野誠一さんなど、21年間続きました。「吃音を治す・改善する」ではなく、どう生きるかを考えるために、精神医学、臨床心理学、表現など、様々な分野から学んだのです。

 サイコドラマの増野肇さんが講師だったとき、関東地方から、横浜で開催した吃音相談会に保護者と一緒に参加したひとりの大学生が参加しました。横浜で最初に会った時は、両親の陰に隠れるようにしていた姿が印象に残っていました。その彼が、ひとりで、滋賀県での2泊3日の吃音ショートコースと名付けたワークシヨップに参加申し込みをしてきました。誰と同じ部屋にしようかと考えました。同じくらいの年齢の人、さりげない気遣いのできる人、そう考えて、僕は、大阪吃音教室に参加していたひとりの青年を選びました。川東さんです。川東さんには、初めて遠くから参加する彼を、ちょっとだけ気にかけてほしいとお願いしました。
 最終のセッションで、彼は、自ら希望して、増野さんのワークをしました。自分にとって大切なバイオリンをテーマにしたものでした。かなりどもる彼の話を、増野さんは丁寧に丁寧に聞き、サイコドラマのワークをして下さいました。

 彼のその後の活躍は、「スタタリング・ナウ」」(2015年1月 NO.245号)で、母親の手記とともに紹介しています。彼は日本の音楽大学を卒業後、国立ウィーン音楽大学・大学院に進学し、今はヨーロッパの著名な管弦楽団の楽団員として活躍しています。ニューイヤーコンサートで東京や大阪などの公演のためドイツから来日します。昨年はその招待状をいただいたのですが、毎年行う、吃音プロジェクトの合宿のために、ニューイヤーコンサートに行けず、彼に会うことはできませんでした。

 今年、僕たちは例年のように、1月11・12・13日は、東京で、吃音プロジェクトの合宿と東京ワークショップがありました。その直前に、川東さんから、FAXをもらいました。A4版の紙2枚にびっしり、几帳面な文字が並んでいます。

 
伊藤さん
 1月4日、日本での公演のために帰国した彼に招きを受け、今年も彼が所属する楽団のコンサートの大阪公演に足を運んできました。演奏中の彼の輝かしく立派な晴れ姿は、確保するのも大変だったであろう座席から、昨年同様の堂々たる演奏っぷりを角度的にもバッチリ拝むことができました。でも、今回、僕が一番お伝えしたかったのは、公演終了後に彼と過ごした時間に起きたできごとにあります。
 終演後、事前に約束していた待ち合わせの場所に行くと、何とお母様も待っていらして、「あなたが川東さんですか。話は聞いています。吃音ショートコースで最も仲良くなった友だちで、今も、やりとりが続く仲だとか…」という語りだしでの対面に、僕自身もいつかは一度はお会いしてご挨拶できればと思っていたので、うれしい遭遇でした。
 しかしながら、これは序章に過ぎず、本当の感動は、まだ先に待っていました。
 その後、ふたりっきりで、お茶する時間を設けたのですが、お互いにどもる度合いは変わっていないのに、いやはや彼の変化に、僕自身は驚きの連続でした。一言で言うと、積極性が増しました。話すことのみならず、何に対しても。
 喫茶店では、自分から店員に注文を依頼し、僕の分まで済ませてくれたのを皮切りに、まもなく大学院の卒業が迫り、学生ではなく社会人、つまり仕事としてバイオリンを続けていくんだという仕事に対する熱意や、ドイツに彼女がいて恋愛真っ只中である現状など、彼自身、たくさんのことを聞かせてくれました。このとき、いつの間にやら、完全聞き手となっていた僕の心の中はうれしくてたまりませんでした。
 実は伊藤さん、今やから明かしますが、9年前のショートコースの部屋割りで彼と同室となったあのとき、僕に対して少しずつ心を許してくれるにつれて、(たぶん彼自身、もう覚えていないと思いますが、)こんな本音を聞かせてくれていたんです。「これから将来、必ず直面する仕事や恋愛に関して、今は不安でしかありません」と。どこか自信なさげで、常に消極的な印象でした。
 それが9年経った今、あの当時の不安を払拭するがごとく、仕事や恋愛について、あんなにも強い意志を目の当たりにできたことで、この上ない感動を彼からもらったように僕自身は感じています。
 そして最後に、もうひと喜びがあったんです。
 お茶を終えて、彼を家族と楽団員の待つ場へ送り届けた折、再びお母様にご挨拶させてもらいました。偶然そのとき、ほんの少し彼が何かでその場を外したんですが、そのわずかな時の隙間にお母様がふと、「息子がなぜ、家族や楽団員との予定を削ってまで時間を作り、川東さんとの予定を優先させたのか、今日お会いして納得しました。今後ともよろしくお願いします」とおっしゃいました。僕は胸の中で、「なんともったいない。こちらこそよろしくお願いします」と、喜びをかみしめていたのを覚えています。程なくして戻ってきた彼とも、また必ずの再会を約束して、その場を後にしました。
 別れ際、ひょっとしたら来年はドイツでの活動が忙しく、日本公演に帰国できないかもしれないと聞かせてくれました。しばらく会えない、だからこそ余計に今回の再会に賭けていたのかと、全てに合点がいきました。
 重ねて、これは、彼とお母様の二人から「今回は忙しくて、お声をかけられませんでした。川東さんより、伊藤さんにくれぐれもよろしくお伝え下さい」との伝言をお預かりしていたので、このたびの出来事の報告も兼ね、FAXさせていただきました。
 同時に僕自身、9年前のショートコースで、彼と同室になったご縁に改めて感謝しております。ありがとうございました。
 また時間をみつけて大阪吃音教室等に出向けたらと思います。
                                 川東


 21歳のとき、どもる人のセルフヘルプグループを作ってから、僕は、たくさんのどもる人、どもる子どもたちに会ってきました。おそらく世界中で一番たくさん出会ってきただろうと思います。いろいろな人がいました。印象深い人もたくさんいますが、今回紹介したふたりも、印象深い人です。あのときの出会いが日本とドイツと遠く離れながら、こうして今も続いていること、本当に奇跡のようです。二人がお互いに、人を大切に思い、出会いを丁寧に意味づけ、つながりを大切にする人だったからでしょう。こういうことがあると、活動を続けてきて本当によかったと思います。
 今年が、こんないい話でスタートしました。

日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2020/1/21