群馬吃音キャンプ 若い人たちとの対話 8

  医療従事者として、吃音とコミュニケーション能力を考える

 群馬キャンプ1日目の夜の話し合いは、参加者が、下は小学5年生から、上は30歳近い若者までと、年齢差が大きかったです。そのため、参加者からの要望もあり、僕に対して一人一人が質問して、それに答えるスタイルで行いました。話の内容が幅広くバラエティに富んでおもしろかったので、テープ起こしをして再現しました。結局、参加者8人全員の質問に答えたことになります。今回で最後です。長いおつき合い、ありがとうございました。最後は、医療従事者として生きようとする人と、吃音とコミュニケーション能力について考えました。

参加者 私は、ことばが全般的に得意ではないという認識で、自分としては、医療従事者として適正か適正でないか、考えがちなんです。これまではことばが苦手だから、あんまり話す場面にはあえて行かないで、その代わり、自分の得意な所を探していこうと考えていたんです。どもってことばが出ないこと、話の組み立て方もうまくなくて、医療従事者としてはどうかと考えるんです。伊藤さんは吃音に悩んでいた時、どんなコミュニケーションだったんですか。


群馬キャンプ 会場の芝生伊藤 僕は、ということ? 21歳までコミュニケーションが問題になっていたかどうかということですか? それ、分からないんだよね。21歳までの僕はほとんどしゃべらなかったから、話をどう組み立てるかとかも意識しないし、コミュニケーションが苦手というレベルではなくて、話す場面に出ていかないから、苦手かどうかすら分からない。けれども、僕がどもりを治すことを諦めたときに、話すこと自体の苦手意識はなくなったね。
 なぜ変われたかを今考えると、僕は、文学や小説をたくさん読み、映画をいっぱい見ている中で、架空の世界だけれども、コミュニケーションの場面をいっぱい見ていたことが影響しているかもしれない。それと僕は、自分が悔しいこと、悲しいことをことばでは表現できない分、毎日日記に書いていたので、自己内対話ができていた。だから、コミュニケーション能力はないと思っていたけれども、どもってもいいと思ったときに、ずいぶんおしゃべりになったのは、文章の組み立てが頭の中ではできていたのではないかと思うんだ。それと、吃音に悩む小学校2年生の前までは、僕は明るくてユーモアがあって、冗談ばかり言う子だったらしい。ユーモアセンスは子どもの頃に育んでいたので、どもりで悩んでいたときには隠れていたけれど、悩みがとれたとき、元々の昔の僕の状態が戻ったということかな。
 でも、僕は自分では、コミュニケーション能力はあるとは思わない。誰とでもコミュニケーションがとれるわけではない。相手がすごく威圧的だとしゃべれないし、臆病だから、苦手な人とはうまくしゃべれない。苦手意識を克服して、なんとかしゃべるほどのコミュニケーション能力はない。コミュニケーション能力のある人は、そういう場面でも、場を盛り上げることができるかもしれないけれども、僕はそういうのは全くできない。また、僕は、雑談がめちゃくちゃ苦手なので、初対面の人と積極的に話すことはしないし、できない。こうして今、君たちが質問してくれているから、僕は、考えてきたことをことばにしていくけれどもね。誰とでも仲良くなれないから、自分では、コミュニケーション能力はない方だと思う。あなたはどうなんですか。
参加者 僕は、どもり以外でも、あがってしまう。また、どもりそうな時に、みんながしているような、ことばの言い換えが苦手で、できない。だからどもることが多いんです。
伊藤 ということは、君は、ちゃんと、すなおにどもっているわけだ。
参加者 日記を書くこともないし、このどもっている感じが、ことば全般的に、言語能力全般に影響しているように思っている。言いたいことの言えなさ、伝えられなさが、結構影響している。これでは対人援助職としてはだめだと思うので、努力して変えることができるものは変えたいんです。仕事上の適正か適正でないかの話で、どこまでが変えられるもので、どこからが諦めた方がいいのか。今までは、かなり逃げてきた。伊藤さんの話では、苦手な人としゃべるときや初対面の人とは諦めるという話だったけど。
伊藤 うん、諦めるよ。非社交的なところは吃音に悩んでいたころとあまり変わらない。
参加者 そこらへんの線引き、諦める、諦めない、そこら辺が難しい。僕はどこを諦めてどこを諦めない方がいいのだろう。今後仕事をする上でどんな努力をしていけばいいでしょう。
伊藤 それは、他人が言うことではないので、自分で自分の感覚を信じたらいいと思うけど、参考まで言えるとしたら、もし、自分が言語能力が欠けていると思うのであれば、言語能力を育てることはできると思う。吃音を軽くはできないけれども。今、医者の世界で、物語能力を育てようという動きがあります。愛知県のがんセンターの終末期医療の分野で、看護師や医師に、患者の語る物語に耳を傾け、共感する物語能力を育てようとしています。 僕が子どもの頃から、感受性が豊かだったのは、両親からの育てられ方に影響していると思う。母親は童謡・唱歌を一緒によく歌ってくれたし、父親は謡曲や歌舞伎の物語をいっぱい話してくれた。僕は、父親の話す物語にぼろぼろ泣いたりしている子だった。僕も人と話す仕事について、もともと持っていた感受性が花開いたとは思う。だけど、君が、それがもし、乏しいということであれば、ある程度だけど、訓練できると思う。カウンセラーが感受性のトレーニングなんかをするけれど、やっぱりもともと持っているものにはかなわない。かなわないけれども、ある程度の努力はしてみる。それは、諦める必要のない領域かな。でも、医療従事者として、適正があるかと言われたら、コミュニケーション能力とは関係なく、人間であることの誠実さだとか、そちらの方が適正かどうかだと思う。自分の中で、訓練をしてみようと思う項目で、これは諦めた方がいいかなという、リストのようなものはあるの?
参加者 作ってはいないですけど。そうですね、もやっとは、あるような、ないような。
伊藤 そうか。これまで向き合ってこなかった自分と向き合って、自分の適性とは何なんだろうか、自分に欠けているものは何か、自分が伸ばせるものは何か、諦めるのは何だろうか。そのあたりは、あなたしか分からないものだから、自分で、漠然と考えているだけではだめなので、文字化して、自分で変えることができるもの、変えられないもの、と、リストを作ってみたらどうですか。それをじっと見て、ああ、ひょっとしたらこれは変えられるかもしれないなとか、これは無理かなとか考えてみる。もしそれに第三者がかかわった方がいいということなら、信頼できる先輩でもいいし、僕でもいいし、リストを一緒に見て、その中で何が変えられるだろうかと、相談できたらいいね。どもっているかどうかなど、ほとんど関係がないと思うよ。
 一般企業も就職活動でも、コミュニケーション能力、コミュニケーション能力とあまりにもいいすぎると思う。僕はそれよりも、相手を思う、感じ取る、話をちゃんと聞く、相手の話をちゃんと聞くという耳と態度と思いがあったら、少しずつコミュニケーション能力というのは育っていくんじゃないかなあと思う。
 吃音と自分と向き合うことを避けてきたとあなたは言ったけれど、今が向き合うひとつのチャンスかもしれない。ちゃんと自分と向き合ってみて、自分に何が欠けて、何が自分の強みか考えて、変えることができるのなら変えていく勇気を、変えることができないのなら受け入れる冷静さを、変えることができるかできないか見分ける知恵をもってください。これは、神学者ニーバーのことばだけど、変えることができることは、これから医療従事者としての職業をする上でも、変えたらいいんじゃないかな。そんなことしか言えないんだけど。
 あっという間に時間がきました。みんなとの話し合いにならないで、僕と君たちとの一問一答になってしまったけれど、多少でも参考になったらうれしいです。お疲れ様でした。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/12/30