島根県での研修報告 1

 2019年6月6日、久しぶりに出雲空港に降りました。
 2016年の、第45回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会・島根大会以来です。今回は、島根県の聴覚言語障害教育春季研修会が3日連続して行われていて、最終日の7日に、僕の担当する吃音についての一日6時間の研修が組まれています。ことばの教室の経験の浅い担当者が増えてきて、できるだけ早い時期に研修を持ちたいという事務局の企画でした。常に学び続けることの大切さを文化として引き継いでいる島根県のことばの教室は、すばらしいと思います。
 空港には、ことばの教室の担当者2人と小学5年生の男の子が迎えに来てくれました。小学5年の男の子は、僕と話がしたいということで、受け持っていることばの教室の担当者が連れてきてくれたのです。駐車場に行くまで、「何年生?」「5年生です」など一言二言ことばを交わした後、車に乗って宿泊先のホテルに着くまでの30〜40分間、後部座席でいろいろと話をしました。
 彼は、4年生までは軽い連発だったそうですが、最近はことばが出なくて、本人のことばでいうと、難発になったとのことでした。周りから変に思われるのが嫌だと言います。どうしたいかと聞くと「治したい」と言います。僕は、吃音はそんなに簡単に治るものではないことと、75歳になり、こんなにいろいろなところで講演したり講義したりしている僕でも、いまだにどもっていることを話しました。あっさりと「治らない」と言いましたが、次に、将来についての話になりました。彼は、バスケット選手になりたいそうですが、バスケットクラブで、ボールを持って、味方にパスをするときに声をかけることになっているのだけれど、そのことばが出ないことで今困っていると話しました。僕は、剣道で相手に打ち込んだときに「面!」「胴!」と言えずに困っているという話は聞いたことがありますが、バスケットについては初めてでした。「所属しているクラブで決まっていることばでなくても、どんなことばでも出せばいい」、それがダメなら「吃音について話せばいい」などと、いろいろと具体的な対処方法を提案しながら、アメリカの、プロのバスケット選手、ボブ・ラブのことを彼に話しました。こんな時、いろんな人の吃音人生を知っていることは、僕の強みです。

 ボブ・ラブは、子どものころから吃音に苦しみ、いじめられた経験からプロのバスケットの世界に入ったと講演の中で語っています。アメリカのプロバスケットチームNBAの元スーパースターでしたが、試合に勝ったときのヒーローインタビューや雑誌の取材などは一切断り、吃音については向き合うことなく、避けていました。現役のときは、バスケットに集中し、吃音を無視していたので、どもることで困ることはありませんでした。ボブ・ラブが困ったのは、現役を引退してからでした。吃音と向き合わざるを得なくなったからです。
 
 ホテルに着いたので、彼とは別れました。少し休憩してから、研修に参加していることばの教室担当者18人くらいと懇親会に出ました。そこに、彼の担当者が参加していました。ホテルに着き、僕と別れてから、ファミリーレストランでアイスクリームを食べながら、どうだったか話をしたそうです。そしたら、僕と話すことができて感激してアイスクリームが喉を通らないくらいだったとのことでした。75歳の僕の話を、小学5年生が聞いて、何か感じるところがあったとしたら、こんなに幸せなことはありません。
 話題になったバスケットボールのボブ・ラブについて、「自信と劣等感」という視点でかなり前に文章を書いているので、紹介しましょう。


  
自信と劣等感

 「吃音のコンプレックスと戦うためにバスケットを続けた」
 1997年8月。シカゴブルズの親善大使、ボブ・ラブさんは子どものころから吃音に苦しみ、いじめられた経験からプロのバスケットの世界に入ったことを大阪で講演した。 NBAの元スーパースター、ボブ・ラブさんの半生は、自分の苦悩の人生をかけて、あるいは人生を通して、大切なことを私たちに伝えて下さっている。
 ボブさんがバスケットで得た数々の栄光は、自信は、吃音の劣等感を和らげることにはならなかった。それでも、バスケットに集中できた現役時代には吃音を無視することができた。しかし、現役を引退すると吃音と向き合わざるを得なくなる。吃音のために再就職ができず、やっと得た仕事がレストランでフロアーの掃除や皿を洗う仕事だった。スーパースターだった時の年収と栄光との落差に、この15年間をボブさん自身「最も苦悩に満ちた屈辱の日々」と述懐する。
 なぜこのようなことが起こったのだろう。それは、ボブさんがバスケットの技術は超一流でも、吃音とつき合う術を知らなかったからだ。吃音については、治療を含めて何も試みなかった。試合前のインタビューやヒーローインタビュー、テレビ、雑誌の取材など、公的なスピーチだけでなく、マクドナルドでハンバーガーを注文することすら避けていた。
 レストランのオーナーに吃音治療をすすめられ、いいセラピストに出会えたことは幸運だった。そのセラピーの中で、初めて吃音と直面ができ、真剣に吃音に取り組めた。
 「重度の吃音者が、吃音を克服してブルズの親善大使として成功する」このように紹介されるボブさんの体験は、一般的には、言語治療の成功例として受け止められるかもしれない。《1年半の会話練習で障害を克服》などと、言語治療で話せるようになったことがあまり強調されると、吃音治療は効果があり、ボブさんのように努力をすれば治るのだととらえられる。
 しかし、私はそうは思わない。言語治療は、ボブさんが初めて吃音と直面し、吃音に取り組むきっかけを作ったに過ぎない。会話練習そのものよりも、40歳を過ぎるまで取り組まなかった吃音に直面し、真剣に取り組んだことが重要なのだと思う。
 「劣等感をバネにする」という生き方がある。確かに、劣等感をバネにして、努力し、何かを成し遂げたと紹介される、いわゆる偉人は少なくない。「今に見ていろ、私だって」と、自分に劣ったものがあると意識した時、それに代わるもので自信をつけようとする。そのことで一定の成功感、自信を得ても、劣等感をもった事柄に向き合うことがなければ、その自信は、砂上の楼閣のようなものだろう。ボブさんの自信はそのようなものだった。
 自信は、「何かに他者より優れている」というような相対的な自信と、「例え何々ができなくても、私は私だ」という揺るぎない自己信頼感からくる自信の二通りがあるように思う。
 相対的な自信は不安定だ。常に強敵は現れ、競争にはきりがない。またそれを維持するための不安も起こる。相対的な自信だけでは、自己信頼感は生まれない。
 どうしたら自己信頼感が得られるのだろうか。できないことはできないと受け入れ、劣等感をもった事柄に直面し、不安や恐れがあっても、その苦手なものに取り組む過程の中でこそ、自己信頼感が生まれ、育っていくのではないか。
 ボブさんの場合、バスケットで得た自信をどうすれば生かすことができたであろうか。話題は自信のもてるバスケットに関してのことだ。自信のあることは比較的話しやすい。逃げることなく、どもってもインタビューを引き受ける。そうすれば、例えひどくどもりながらインタビューで話しても、ボブさんが恐れた嘲笑したり蔑む人が中にはいたかもしれないが、多くは聞いてくれただろう。どもったからといって、選手としての実績、栄光には変わりはないことに気づいたことだろう。
 ボブさんの体験は、吃音を隠し、吃音から逃げるのではなく、吃音に直面し、それに真剣に取り組むことの必要性と大切さを教えてくれている。
 「吃音を忘れて何かに打ち込もう。吃音以外の何か自信のもてるものをみつけよう」これらが、あまり役に立たないことをボブさんの半生が示してくれている。(1998.5.31)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/6/9