島根県のことばの教室との長いつきあい

 2019年6月7日、島根県出雲市で、島根県・聴覚言語障害教育の春季研修会が開かれます。事務局によると、新しいことばの教室の担当者も増えてきたので、できるだけ早いうちに、研修の機会をもちたいと考え、5・6・7日の3日間の研修会をするのだそうです。このように担当者の研修を大切にしている島根県はすごいなと思います。これまでのいい文化が受け継がれているのでしょう。
 僕は、何回も島根県の研修で講義をしていますが、4年ぶりに、島根県で丸一日、吃音の講義をすることになりました。昨日、レジメを完成させ、事務局に送りました。

 島根は、「島根スタタリングフォーラム」というどもる子どもと保護者のための吃音キャンプもしています。今年で21回になります。そのキャンプをするようになったきっかけは、今回のような研修会の場でした。

 21年前、僕は、年末年始を、島根の玉造温泉で過ごすため、島根に行きました。せっかく島根に来ているのだからと、ことばの教室の教員が企画してくれて、年末の忙しいときに、研修会がもたれました。泊まってい厚生年金の保養施設に迎えに来ていただき、帰りも送っていただきました。帰りが遅くなり、施設の方に裏口を開けてもらったことを覚えています。そのときの打ち上げの場で、キャンプをしようと盛り上がったのです。フォーラムの事務局の担当者は何回か代替わりしていますが、ずっと続いてきて、今年、21回目です。
 そんなことで、島根県のことばの教室担当者との関係は古く、長く、深く続いています。
 決定的だったことは、僕が、21歳のとき、東京正生学院で出会った初恋の人が島根県出身だったことです。講演などではよく話すことですが、この初恋の人のおかげで、僕は、吃音を認め、人を信じることができ、これまで生きてくることができたのです。
 初恋の人については、以前、文章を書いていますので、紹介します。


    初恋の人              『新・吃音者宣言』芳賀書店
 小学2年生の秋から、どもることでいじめられ、からかわれ、教師から蔑まれた私は、自分をも他者をも信じることができなくなり、人と交わる術を知らずに学童期、思春期を生きた。凍りつくような孤独感の中で、不安を抱いて成人式を迎えたのを覚えている。
 自分と他者を遠ざけているどもりを治したいと訪れた吃音矯正所で、私の吃音は治らなかった。しかし、そこは私にとっては天国だった。耳にも口にもしたくなかったどもりについて、初めて自分のことばで語り、聞いてもらえた。同じように悩む仲間に、更にひとりの女性と出会えた。吃音矯正所に来るのは、ほとんどが男性で、女性は極めて少ない。その激戦をどう戦い抜いたのかは記憶にないが、二人で示し合わせては朝早く起き、矯正所の前の公園でデートをした。勝ち気で、清楚で、明るい人だった。
 吃音であれば友達はできない、まして恋人などできるはずがないと思っていた私にとって、彼女も私を好きになっていてくれていると実感できたとき、彼女のあたたかい手のひらの中で、固い氷の塊が少しずつ解けていくように感じられた。
 直接には10日ほどしか出会っていない。数カ月後に再会したときは、生きる道が違うと話し合って別れた。ところが、別れても彼女が私に灯してくれたロウソクのような小さな炎はいつまでも燃え続けた。長い間他者を信じられずに生きた私が、その後、まがりなりにも他者を信じ、愛し、自分も愛されるという人間関係の渦の中に出て行くことができたのは、この小さな炎が消えることなく燃え続けていたお陰だといつも思っていた。
 この5月、島根県の三瓶山の麓で、どもる子どもだけを募ってのキャンプ『島根スタタリングフォーラム』が行われた。このようなどもる子どもだけを対象にした大掛かりな集いは、私たちの吃音親子サマーキャンプ以外では、恐らく初めてのことだろう。島根県の親の会の30周年の記念事業として、島根県のことばの教室の教師が一丸となって取り組んだもので、90名近くが参加した。
 「三瓶山」は、私にとって特別な響きがある。彼女の話に三瓶山がよく出ていたからだ。
 「今、私は他者を信じることのできる人間になれた。愛され、愛することの喜びを教えてくれたあの人に、できたら会ってお礼を言いたい」
 30人ほどのことばの教室の教師と、翌日のプログラムについて話し合っていたとき、話が弾んで、何かに後押しされるように、私は初恋の人の話をしていた。その人の当時の住所も名前も決して忘れることなくすらすらと口をついて出る。みんなはおもしろがって「あなたに代わって初恋の人を探します!」と、盛り上がった。絶対探し出しますと約束して下さる方も現れた。
 三瓶山から帰って2日目、島根県斐川町中部小学校ことばの教室からファクスが入った。
「初恋の人見つかりました。なつかしい思い出だとその人は言っておられましたよ」
 私は胸の高鳴りを押さえながら、すぐに電話をかけた。34年間、私に小さな炎を灯し続けてくれた彼女が、今、電話口に出ている。三瓶山に行く前には想像すらできなかったことが、今、現実に起こっている。その人もはっきりと私のことは覚えており懐かしがってくれた。会場から車でわずか20分の所にその人は住んでいたのだった。電話では、《小さな炎》についてのお礼のことばは言えなかったが、再会を約して電話を切った。
 どもる子どもたちとのキャンプ。夜のキャンドルサービスの時間に、ひとりひとりの小さなローソクの炎は一つの輪になって輝いていた。子どもたちと体験したこの一体感が、私にその話をさせ、さらに34年振りの再会を作ってくれたのだ。子どもたちとの不思議な縁を思った。
 子どものころ虐待を受けた女性が、自分が親になったときに子どもを虐待してしまう例は少なくない。しかし、夫からの愛を一杯受け、夫と共に子育てをする人は子どもを虐待しない。
 人間不信に陥った私が、人間を信頼できるようなったのは彼女から愛されたという実感をもてたからだ。この子どもたちは、小さな炎と出会えるだろうか。小さくても、長く灯り続ける炎と出会って欲しい。一つの輪になったローソクの小さな、しかし、確かな炎を見つめながら願っていた。(1999.6.19)

 この話には、後日談もあります。
 再会を約束した彼女と、松江市の駅前で待ち合わせて、34年ぶりに会いました。
私に、人は信じうるという小さな炎を灯し続けてくれた人。もう会うことはないと思っていたが、決して忘れることのなかった人です。待ち合わせの場所での出会いはおもしろいものでした。少し早く指定の場所に行き、彼女を待ちました、多くの人が通りかかる所です。この人かな、あの人かな、この人でないように、などいろんな思いがめぐりました。相手も、僕と同じような思いだったらしいです。
 「あっ、この人だ!」一瞬に35年間が縮まりました。もちろん体型も顔も変わっていますが、面影ははっきりと残っています。昔の二人に戻るのにそれほど時間はかかりませんでした。2時間も話せればそれでいいと思っていましたが、予定していなかった食事も含めて6時間も話し込んでいました。
 「21歳の時の伊藤さんは、かなりどもっていた。こんなにどもっていても、一所懸命自分を語り、前をみつめている姿に勇気づけられた」
 僕だけが、彼女から生きる勇気をもらったと思っていたのですが、私も、彼女に、少なからず影響を与えていたのだと聞いて、とてもうれしかったです。

 こんな思い出のある島根での研修。92名が参加すると聞いています。どんな出会いがあるか、とても楽しみです。
 話すテーマは、健康生成論。2019年の僕のテーマは、健康生成論です。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/6/5