吃音氷山説で、自分のどもりを分析する

 大阪吃音教室の1年間のスケジュールの中に必ず入っている講座があります。その一つが、「自分のどもりの課題を分析する」です。吃音の問題は「どもる」ことそのものではなく、吃音から受けるマイナスの影響にあると考えています。吃音検査で「吃音症状」を検査しても、その結果に見合う言語訓練方法がないのですから。「吃音の症状」とは別のもので、別の尺度で、自分の吃音をみつめています。そのときに使うツールが
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 4月、新年度を迎えて比較的早いうちに、これらの講座をします。

 言語訓練だけで吃音の問題の解決を図ろうとすることに限界があることは、長い歴史のあるアメリカ言語病理学でも早くから分かっていました。
 1950年にはウェンデル・ジョンソンが言語関係図で、X軸:吃音症状、Y軸:聞き手の態度、Z軸:本人の受け止め方の立体を提示し、症状だけでなく、聞き手である環境、本人の吃音の受け止め方にもアプローチすべきだと提起しました。
 1970年にはジョゼフ・G・シーアンが吃音氷山説で、吃音は吃音症状の問題ではないと明確に打ち出しました。吃音症状は吃音の問題のごく一部で、本当の問題は、海面下にあり、吃音を否定的にとらえ、話すことから逃げる行動や、どもりは悪い、劣ったものとする考え方、どもることへの不安や、どもった後の恥ずかしい感情だとしました。シーアンは「吃音は治らないかもしれないが、消極的に生きる必要はありません。あまりハンディキャップをもたずに生きることはできます。そのためには吃音を受け入れ、話すことから逃げない生活をしていきましょう」と主張し続けました。
 当時まだ、アメリカ言語病理学の翻訳の本が少なく、ウェンデル・ジョンソンの『教室の言語障害児』の中に、言語関係図がある位でした。僕たちは、これらのことを知らずに、「どもりは、どう治すかではなく、どう生きるかだ」と、吃音への取り組みの考え方を変えてきました。それが、言語関係図であり、吃音氷山説と合致していたことに、後になって気づいたのです。

 今回の講座は、吃音氷山説の海面下の問題をみんなで考えました。海面上に浮かんでいるのが、見える部分でどもりの症状です。どもりの問題は、この海面上にあるのではなく、海面下にあるのだとの説明の後、みんなで、海面下にあるものを3つに分けて考えました。思考、行動、感情です。
 この日、初めて参加した大学生が、皆の発言に触発されてか、積極的に手を挙げて発言していました。「人前でどもりたくない」「ええかっこしたい」など、客観的に自分のどもりを見ていることが印象的でした。皆で出し合った「どもりをマイナスに考えていると、どんな「思考・行動・感情」になるか、たくさん出たうちの一部を紹介します。

 
思考
 「吃音ネガティヴにとらえているとき、どんな考えに陥ってしまうか。思いつく限り出して下さい。今の自分のことだけでなく、過去でも、想像でもいいです」

・どもっていては話すことの多い仕事に就けない
・どもることは恥ずかしいことだ
・周囲の人から変な目で見られるにちがいない
・友人(周りの人)から、会社の人から、劣った人間に見られるにちがいない
・どもりは治さなければならない
・どもることはみじめだ
・どもりだから、からかわれるのは仕方ない
・どもっていたら、有意義な人生は送れない
・どもるくらいなら、しゃべらないほうがいい
・どもるということだけで、昇進していくコースから外れる
・どもることが、周り話にばれたら会社を辞めなければならない
・どもっていたら会社に迷惑をかけるにちがいない
・どもっていたら、結婚できない
・どもりは子どもに遺伝するので、結婚しても子どもを作らない
・どもっていたら、取引先に迷惑をかけるにちがいない
・どもっていたら、一人前の仕事をしていないと周りの人に思われる

 どうでしょう。こんなふうに吃音について考えていたら、行動、感情にも大きな影響が出てきます。少なくとも21歳までの僕は、吃音に深刻に悩むだけで、吃音について真剣に考えていませんでした。これらのすべてがあてはまるわけではないけれど、これに近い考えをもっていたように思います。この吃音に対する考え方に、明確に気づくことがまず大事です。
 後になって知ることになる、アルバート・エリスの「論理療法」の考え方、アプローチがぴったり来たのは当然のことでした。この考え方に、大阪吃音教室では、論理療法を活用して、「この考えに根拠があるのか」「この考え方は、私たちを幸せにするのか」など、話し合いながら、エクササイズをしながら、論駁(ろんばく)していきます。
 次回は、行動、感情です。

  日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2019/05/20