メッセージ


 「報道の魂」の放送から1ヶ月、日本吃音臨床研究会のニュースレターである「スタタリング・ナウ」NO.135で、僕たちは、番組の特集を組みました。そして、斉藤さんに、出会いのきっかけ、取材中に感じたこと、放送を終えての感想など、何でもいいからと原稿をお願いしました。
 いただいた「メッセージ」というタイトルの原稿は、想像どおり、いえ、想像以上に、力強く、心温まるものでした。読んだときには、本当に涙があふれました。理解して下さる方は、こんなに深く理解して下さるのだ。いつも誤解や、曲解で見当外れの批判を受けているので、何にも代えがたい応援になりました。
 その斉藤さんからのメッセージを2回に分けて紹介します。


                
メッセージ

  TBSテレビ報道局編集主幹  TBSテレビ解説委員 斉藤道雄(2005年当時)

 「ぼくは配慮の暴力というのがあると思います」
 小冊子のこのひとことに、僕は引きつけられた。
 配慮の暴力というのは、たとえば「子どもの欠点や弱さというものを指摘したらかわいそうだ」という親の思いこみからからはじまっている。あるいは、「治ることを期待してどもりについて話題にしない」という「大人の意識」のことだ。そうした意識が、子どもが本来もっているはずの力を、押さえつけているのではないか。
 この問題のとらえ方には、なじみがある。そう思いながら、先を読み進んだ。
 話は、吃音者の生き方をめぐるものだった。
 「治るとはどういうことか。ぼくもはっきりわかりません。…だから治るという言葉はあえて使わないで、治らないけれども自分らしく生きることはできるんだよというメッセージを投げかけたい」
 治らないけれども自分らしく生きる、これもまた、なじみのメッセージではないか。
 だれだろうと名前を見ると、伊藤伸二とあった。
 伊藤さんは、大阪の應典院というお寺が出している機関紙「サリュ」の2004年秋号に載ったインタビュー記事(「弱さ」を社会にひらく。セルフヘルプとわたし。)で、吃音について、吃音をめぐる「配慮の暴力」について、そして吃音を治すということ、治るということの意味について語っていた。それを読み終えて僕は思った。ああ、いつかこの人に会ってみたいものだと。会って、話を聞きたい。そしてたしかめてみたい。伊藤さんがいっているのは、僕がかつて受け取ったあのメッセージのことですよねと。「サリュ」の一文は、夜空に打ち上げられた一瞬の花火のようなものだったけれど、僕はたしかにそれを見たし、そこに伊藤さんの存在を感じることができたのですよと。
 いってみれば、そのことを伝えるために、僕は今回の取材に取りかかったのかもしれない。配慮の暴力ということばに出会ってからちょうど1年後、僕は東寝屋川駅にちかいマンションの自宅に伊藤さんを訪ねていた。そこで話を聞き、資料をもらい、この秋からはじまる新番組の企画で、伊藤さんの取材をしたいとお願いしたのだった。
 それがたまたま、年に一度の吃音親子サマーキャンプの時期と重なっていたのである。キャンプには伊藤さんたちの仲間と吃音の子どもたち、それにその親が、全部で140人も集まるという。好機を生かすべく、僕はさっそくカメラマンとともに、キャンプ地である滋賀県の荒神山まで出かけることにしたのだった。2泊3日の短い期間ではあったが、おかげでじつに密度の濃い取材ができたと思う。突然のテレビの闖入で参加者にはずいぶん迷惑をかけたことだろうが、それにもかかわらず快く取材に応じていただいたみなさんには、ここであらためてお礼を申し上げたい。
 もちろん、吃音などという問題にはかかわったことがなく、キャンプにもはじめていくわけだから、取材できることはかぎられていた。しかしそこで子どもたちが真剣に話しあい、劇の練習をするところを見ながら、そしてまたインタビューをくり返しながら、サマーキャンプがどのような場であり、その場をつくりだしているのがどのような人びとなのか、そしてそこでなにが語られ、なにが起きているのかを、多少なりともつかみとることができたと思う。
 ひとことでいうなら、それは長い物語をもつ人びとの集まりだった。
 吃音がもたらす苦労と悩み、そして人間関係のむずかしさや社会との緊張は、他人がなかなかうかがい知ることのできない生きづらさを、吃音者にもたらしている。その生きづらさは、時間を経てこころの奥底に滓(かす)のように沈殿し、重さをもち、それぞれの物語をつくる下地となる。キャンプの参加者はみな、そうした滓や重さや経験をことばにして、あるいは仲間の語ることばに共鳴する形で、自らの物語を紡ぎだしていくかのようであった。
 たとえばスタッフとして参加していた長尾政毅さんは、小学校2年生のころは吃音がひどくて、話がほとんど会話にならなかったという。
 「友だちと話してるときに、やっぱり通じなかった記憶、ものすごいある。これ話したい、だけど一部分も話せずに去っていく、って経験がいっぱいあった」
 どもりをまねされ、からかわれ、「負けじとしながら、だいぶこたえて」いた。ふつうに話せないのが「ほんとにいやでいやで」、でもそれを認めたくないから「逆に強くなろうと突っ張って」いた。それだけではない。吃音を「隠そうっていうことを無意識に」しつづけていたから、表面的にはものすごく明るいいい子を演じていなければならない。そういう無理を重ねながら小中高と進んではみたものの、高校2年のある日、ついに合唱部の顧問の先生にいわれてしまう。「君は、ものすごい自分を出さない、こころを閉ざす子やな」と。
 それはそうかもしれない。しかし、じゃあどうすればいいのか、長尾さんは途方にくれたことだろう。吃音がもたらす厚い壁は、自分で作り出したものかもしれないが、それは作らざるをえなかった防壁であり、そのなかでかろうじて自分を維持できるしくみだった。なぜそうしなければならないのか、どうすればそこから脱け出せるのか、それは周囲ではなく、だれよりも本人が自分に向けなければならない問いかけだったろう。その問いかけに、当時の長尾さんは答えることができなかった。いまそれを語れるようになったということは、果てしない堂々めぐりのあげく、いつしか壁を抜け出していたということだったのではないだろうか。
 ここまでこられたのは、おなじ仲間との出会いが大きかった。そこで長尾さんは目を開かれ、新しい世界に入っていくことができたからだ。いまでは自分が吃音に対してどういう心理状態にあるかを把握し、整理できるようになったというから、克服したとはいえないまでも、吃音との関係を以前にくらべてずいぶんちがったものにしているといえるだろう。しかしそれでもまだ、こころの底に鍵をかけているところがあるんですよと、テレビカメラの前で率直に語ってくれた。
 その長い話は、まだ先へとつづくのである。
 最近、長尾さんはアルバイトで水泳のインストラクターをはじめるようになった。子どもたちに泳ぎ方を教えながら、「名前よぶとき、だいぶ詰まる」ことがあって、危ないときもあったが、「ごまかしまくって」なんとかやってきた。それが最近、仕事が終わったところで先輩にいわれてしまったという。お前、がんばってるな、だけど「これからは、吃らずにやろうな」と。それを「さくっと」告げられた経験を、苦笑いしながら話す胸のうちには、かなわんなあという思いと、どうにかなるさという居直りとが交錯していたことだろう。
 吃音をめぐる長尾さんの物語は、いまなおつづいているのである。いや、吃音者はみな、終わることのない物語を刻みつづけている。それは一人ひとり異なっていて、みなおどろくほどよく似た部分をもっている。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/4/10