映画『福島は語る』

 
 僕たち、「吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会」の仲間である土井幸美さんが、お連れ合いの土井敏邦さんの新しいドキュメンタリー映画『福島は語る』の案内を送ってくださいました。
福島は語る_0001福島は語る_0002 2011年3月11日の東日本大震災から、もうすぐ8年になります。この時期に、敏邦さんは、この映画をできるだけ多くの人に見てもらいたいと思われたのだと思います。
 忘れてはいけない、忘れることはできない事実、真実。ひとりひとりの語りの中に、福島は存在し続けるのだと思います。しっかりと向き合うために、ぜひ、皆さんに出会っていただきたいと願っています。
 僕の住む大阪では、3月9日から十三の第七藝術劇場で1週間上映予定です。静かな語る力を、じっくりと味わいたいと思います。僕も仲間と行きたいと思っています。東京では、3月2日から、新宿K's cinemaで、3月9日から渋谷のユーロスペースで、上映が始まります。3月9日から全国一斉上映です。ぜひ、多くの人に見て欲しいです。

 この映画について、何人かの人がコメントを寄せています。そのうちのひとり、このブログでもよく紹介している、僕の「笑いの人間学」の3日間のワークショップの講師をして下さり、その後、つきあいがずっと続き、よくライブにもいく、コメディアンで、この正月にも「アベ政治を許さない」の国会議事堂の集まりでも会った、松元ヒロさんもコメントを寄せています。紹介します。

松元ヒロ(コメディアン)
 家を失い、家族を友を日常生活を失なった人々。「でもこの故郷、福島が好き。ここが故郷で良かった」と笑顔で言いながら泣いている人が私を更に泣かす。福島の四季、美しい景色をバックに流れるエンディング曲「ああ福島」でまた涙が…。あきらめずに生きている人たちがいる。

 そして、制作者の敏邦さんのことばを紹介します。

なぜ『福島は語る』を制作したのか
                           監督 土井敏邦
言葉の映像化
 この映画は、福島の被災者たちの“証言ドキュメンタリー”です。派手な動きがあるわけではありません。ひたすら、“語り”が続きます。観る人が単調で退屈だと感じて途中で投げ出すなら、この映画は失敗です。しかし“語り”に観る人が引き込まれ、最後まで観てくれる力があれば、この映画は意義があります。私はこの映画で、“言葉の力”に賭けてみました。
 なぜ今、“言葉”なのか。原発事故から8年になろうとする現在の日本で、「フクシマ」は多くの人びとから「もう終わったこと」として忘れさられようとしています。2020年の東京オリンピックの話題に、社会の関心が高まるにつれ、その傾向は強まっています。
福島の為政者たちも、「風評被害の払拭」「復興」の名の下に、「フクシマ」の現実を覆い隠そうとしているようにも見えます。
 しかし、「原発事故」によって人生を狂わされ、夢や未来を奪われ、かつての家族や共同体の絆を断ち切られ、“生きる指針”さえ奪われた被災者たちの“生傷”は癒えることなく、8年近くになる今なお、疼き続けています。
 ただそれは、平穏に戻ったかのような現在の福島の光景からは、なかなか見えてきません。その“生傷”を可視化する唯一の手立ては、被災者たちが語る“言葉”です。この映画は、その“言葉”の映像化を試みた作品です。

福島の証言を残すこと
 本作『福島は語る』の取材を開始したのは、私の前作『飯舘村―放射能と帰村―』の劇場公開から1年後の2014年4月です。きっかけは、この年の春、福島原発告訴団が東京・豊島公会堂で開催した「被害者証言集会」でした。800人の観衆で埋まったこの集会で、数人の被災者の方々が、自らの原発事故後の体験と心情を語りました。その一人ひとりの証言は聞く者の胸に迫ってくる切実な体験でした。その訴えを聞きながら、私は「被災者の方々のこれらの貴重な体験を、会場の800人にしか聞いてもらえないのはあまりに惜しい。原発事故の被災者たちの切実な声をもっと多くの人たち聞いてもらうために記録し残そう」と思いました。それがこの証言映画を作ろうと決心した直接の動機です。
 実際に証言を集めようとするとき、真っ先にぶつかった問題はどうやって語ってくれる被災者たちを探すかです。私は、あの「被害者証言集会」を開いた福島原発告訴団の団長、武藤類子さんに相談し、告訴団のメンバーの中から紹介してもらうことにしました。武藤さんが紹介してくださった方々たちの取材を開始したのは2014年4月です。福島原発告訴団のメンバーの方々、そしてその方たちに紹介してもらった他の被災者の方々を私は車で訪ね回りました。その数は4年間で100人近くになりました。
 しかしそれまでのインタビュー映像を粗編集してつないでみると、自分の胸にストンと落ちる記録映像ではありませんでした。“胸に染み入る深さ”がないのです。
 原発事故後に自分や家族に起こった事象、今に至るまでの生活環境の変化、その中で抱え込んだ「問題」はある程度表現されていましたが、語る人の内面、“深い心の傷”“痛み”が十分に引き出せてはいませんでした。つまり「問題」は描けていても、その中で呻吟する“人間”が描き切れていなかったのです。

人間を描くこと
 私は、1980年半ばからほぼ30数年にわたって“パレスチナ”の現場を取材し日本に伝えてきました。試行錯誤の長い取材体験と報道の中で学んだことの一つは、“伝え手”は現場で起きる現象や事件を描くことだけではなく、“人間”に迫り、伝えなければならないということでした。
 中東・パレスチナのような「遠い問題」を日本人に伝えるには、私たちが描く現地の人びとの姿の中に、日本人である自分と同じ“人間”を見せていかなければなりません。観る人、読む人が「もし自分があの人だったら」「これが自分の息子だったら」と、自らをその相手に投影させる“人間”を突き出して見せなければなりません。そのためには“人間として普遍的なテーマ”に迫る必要があります。例えば「人が生きるとはどういうことか」「生きるために何が一番大切なのか」「人の幸せとは何か」「家族とは何か」「土地・故郷とは何か」「自由とは何か」「抑圧とは何か」「死とは何か」といったテーマです。それらが欠落し、現象や問題だけを伝えるのであれば、所詮、「自分とは関係のない遠い問題」でしかないのです。
 私は「フクシマ」も同じだと思いました。
 インタビューで聞き出す言葉が単に周囲で起こる現象や事件だけに終わってしまっては、「人間を描く」ことにはなりません。福島の原発事故がもたらした事象やその特殊性を突き抜けた“人間の普遍的なテーマ”に迫る言葉を引き出せていなかったのです。それは、証言者側の問題というより、彼らがなかなか言語化できずに心の奥底に沈殿させているその深い思いを引き出す私の “能力”の問題であり、私の“人の内面を見抜く目” “人間への洞察力”の問題でした。つまり“聞き手”の私自身の生き方、人間観、思想が問われていたのです。



日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/2/11