やっぱり、「しゃべれる方が、変。」だよね!

 8月11日、ロフトプラスワンウェストで、『どもる体』の出版記念のトークイベントが行われました。吃瑤蓮著者の伊藤亜紗さんの講演、局瑤蓮▲殴好箸破佑登壇し、フロアーの人との話し合い、敬瑤蓮亜紗さんと僕の対談、という企画です。
 この企画のお誘いは、出版社の医学書院の編集者、白石正明さんからありました。白石さんとは、昨年の1月、渋谷のロフト9で、トークイベントをしたとき、登壇していただいて、お会いしていましたが、伊藤亜紗さんとは初対面です。トークイベント 看板トークイベント パワポ タイトル

 僕も亜紗さんも同じどもる人ですが、亜紗さんはどもりが軽かった、亜紗さんのことばを使えば、濃厚な当事者ではなかったせいか、僕とは違う視点で、どもりをとらえておられます。『どもる体』のユニークな表紙にあるように、どもりをマイナスなもの、ネガティヴなものととらえていないことは共通しています。身体論としての吃音という視点は、これまで吃音に関する本にもなかったし、僕の中でも、そのような視点はありませんでした。どもるという共通点をもちながら、全く違う方向から吃音をとらえていたふたりの話がどう交錯していくのだろうか、好奇心とわくわく感を持って、当日を迎えました。

 会場に少し早く着いたので、暑いにもかかわらず、その辺りをうろうろしていた僕は、交差点で「伊藤さん」と声をかけられてびっくりしました。伊藤亜紗さんでした。そんな偶然の出会いから、今回のイベントがスタートしました。

 吃瑤蓮▲僖錙璽櫂ぅ鵐箸鮖箸辰董∨椶瞭睛討某┐譴覆ら、亜紗さんの講演です。
 タイトルにあるように、しゃべるということは、実はどんなに高度で複雑なことなのか、亜紗さんは、たくさんの音を出すのもすごいことだし、次に言う内容を考えながら話すのもすごいこと、それを瞬時にしているということはものすごいことだと言います。それが難なくできることの方が変だよね、ということになります。会話となると、相手がいて、相手の視線を感じながら、相手の表情や反応をリアルタイムに感じながら話すことになります。相手の口の辺りをずっと見ていて、相手の口が閉じたときに、自分が話し始めるというタイミングも計らなければいけない。このように、分析され並べられると、本当にすごく高度で複雑な大変なことを、毎日僕たちはしているのだと、改めて思いました。
 自分のからだがどんどん先に行く、体に追い越される感じだと、亜紗さんは表現しました。こんなこと、あまり考えたことがないので、僕にはとても新鮮でした。このように感じたことが、今回の『どもる体』の本の出発だったそうです。
トークイベント 亜紗さん
 話の中で、亜紗さんは、障害を語るとき、2つの方向性があると、求心型と遠心型という対の概念について話しました。

ゝ畤慣拭.札襯侫悒襯廛哀襦璽廚粒萋阿紡緝修気譴襪茲Δ福当事者と非当事者の境界があり、当事者が非当事者に語りかけるようなもの。
遠心型 当事者の知っている大事なことは非当事者も知っているというのが前提。潜在的には非当事者も当事者性を持っている。当事者と非当事者の境界を越えていくような方向性をもっている。これが、亜紗さんの身体論。当事者の経験を深めていくことで、非当事者にも分かるように伝えていく。対立ではなく、補完し合うものととらえる。吃音の話をしつつ、吃音を超えていくもの、という表現をされていました。

 この二つを出していただいたことで、僕と亜紗さんの共通点、相違点を語るキーワードができたようでした。

 敬瑤梁价未遼粗、演劇が話題になりました。
 僕が吃音に悩み、苦しむようになったきっかけは、小学2年生の学芸会のとき、せりふのある役を外されたことが関係しています。どもる子どもたちも、芝居は苦手だと話すと、「それなのに、今、吃音親子サマーキャンプで、演劇を取り入れているのはなぜか」と質問されました。
 現実の社会では、ちゃんと吃音のことを理解してくれている人ばかりではないので、その中でしっかりと自分を伝えなきゃいけないし、緊張する場面でも、自分を支えないといけません。そういうしんどい場面で、自分がひとりでも立っていられるようになって欲しいと思い、苦手なことに、仲間と共に挑戦するのが僕たちのキャンプなのだと答えました。たとえ、うまくいかなくても、成功しなくても、ちゃんと最後までその場に立っていたという、そのことがとても大事だと思います。耐える力が大事だと思うのです。
トークイベント 対談2人
 その後、僕は、『どもる体』の感想を伝えました。本を送っていただいたときに、ぱらぱらとめくった段階で、ふっと沸いてきた感覚が、爽快感でした。これまでの吃音に関する本は、どもるとこんな悲しい、こんな苦しいことがあるというネガティヴなものばかりでした。現実に今の社会でも、どもりは治すべきもの、治さなければならないものとして、ある意味、ネガティヴなキャンペーンが充満しています。そんな中で、ネガティヴでもなくポジティヴでもなく、ちょうどいいポジションにいて、爽快感を感じたのです。だから、僕にとっては、とてもありがたい本でした。

 そしたら、亜紗さんは、本にするときに、一番最初に、自分の中で決まっていたのは、爽快感の部分だったそうです。ネガティヴでもなくポジティヴでもないものにしたいと思っていたと聞き、うれしくなりました。

 亜紗さんのような、濃厚ではない吃音当事者だからこそ、書けた本だと思いました。日々、悩み、苦しんでいるどもる人なら、つらい、苦しい、なんとかしてよというものになってしまいます。亜紗さんは、「助けて下さい。分かって下さい」というメッセージは出していません。悩みが展開していく、悩むんだけど、それは発見でもあるような、そういうゴールのない感じを誠実にしたいと思っていたということでした。

 そして、今回の対談で一番のヒットだと僕が思う話が展開されていきました。亜紗さんは、「伸二さんは、非当事者とかかわるとき、どんな関わり方をしたいと思いますか。または、されてきましたか」と質問しました。

 ここで、僕は、亜紗さんが、講演の中で使われた「障害を語る時の、求心型と遠心型」というキーワードを使って、僕の考えてきたこと、考えていることをお話しました。
 このキーワード、似たような表現としては、「吃音は誰もがもつ、普遍的な悩みと共通する」などと、使ってきましたが、「求心型と遠心型」は今まで知らなかったし、使ったことがなく、とても新鮮でした。トークイベント 伸二
 その話は、次回に回します。
 こう書いてきて、「がんの生きがい療法」を提唱しておられた医師の伊丹仁朗さんと「がん患者の死への不安や恐怖」と「どもる人の不安や恐怖」は質はまったくちがっても、一本の線でつながっているのではと話したことに、伊丹医師が共感して下さったことがあったと、ふと思い出しました。
 そのことについてもまた書きます。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/08/14