岡山キャンプ

 10月14日は、第16回目の岡山キャンプでした。長く宿泊を伴うキャンプだったのですが、今は、宿泊しないデイキャンプになっています。それにしても16回も続くとはすごいことです。岡山県のことばの教室の担当者が、みんなで計画し、当日の運営をしています。ことばの教室の担当者が2,3年ごとに変わることの多い中で、ずっと変わらず「主(ぬし)」のように居て下さる築山道代さんをはじめ、代々実行委員長が引き継がれていったおかげで、2017年度も岡山のキャンプが開催され、僕は毎年最初から呼んでいただき、そこでどもる子どもや保護者、担当者との出会いがありました。ありがたいことです。
2017 岡山キャンプ1 集合
 
 はじめは、保護者向けの講演会でした。今回の配布資料として、夏、大阪で行われた全国難聴・言語障害教育研究協議会での講習会【吃音】でのレジメ「将来を展望してのどもる子どもへの支援」を配りました。そして、その夏から新たにキーワードとして加わった、レジリエンスの流れからポジティヴ心理学についても、話すことにしていました。
 僕の話を聞くのが初めてという方もいらっしゃったので、自己紹介もかねて、僕自身の体験を3つの時期に分けて話しました。

‐学校2年生の秋まで  どもってはいたが、明るく元気な子どもでした。大きな声で返事をすること、クラス随一だと通知表に書かれたくらいです。
⊂学校2年生の秋から 21歳まで  学芸会でせりふのある役を外されたことをきっかけに、どもりに悩み、苦しみ、みじめな生活を送ることになりました。学芸会の練習の期間に全く別人になってしまったのです。楽しい思い出はひとつもありません。高校時代の一番苦しい思い出は修学旅行でした。いつもひとりぼっちでした。みんなが楽しいと思うイベントが嫌でした。
21歳から 73歳まで  相変わらずどもっていますが、明るく元気で幸せです。高校時代、音読を免除してほしいと先生に頼みに行った私が、大学の教員になりました。講演や講義をたくさんしています。なぜ僕は、21歳から変われたのでしょうか。21歳のとき、僕はどもりを治すという東京正生学院に行き、必死で治す訓練をしました。でも、治りませんでした。おかげで、どもりが治ること、治すことにあきらめがつきました。「吃音とともに生きる」覚悟ができました。吃音を認めて生きている今は、どもることで困ることも悩むこともありません。
 1965年にどもる人のセルフヘルプグループである言友会を作った創立者のひとりです。たくさんのどもる人、どもる子どもに会ってきました。滋賀県で開催している吃音親子サマーキャンプは今年で28回になりました。滋賀県以外でも、ここ岡山、静岡、群馬、島根、沖縄など各地でキャンプをしています。また、1986年に世界大会を初めて開催しました。そして、国際吃音連盟という世界的な組織を作りました。

2017 岡山キャンプ2 円くなって

 こんな僕に何か質問があったらしてくださいとお願いして、5分ほど全員に質問を書いていただきました。そして、その質問に答えていきました。こんな質問が出ました。出た質問と、少しのコメントを紹介します。

☆英語を習っているが、どもる人で 2か国語を話す人、それを生かして仕事をしている人はいますか?

 話すことの多い仕事に就けるかどうか、親は心配します。同時通訳は難しいかもしれませんが、翻訳、通訳をしている人はいます。その他、話すことの多い仕事に就いている人の話をしました。教師、消防士、看護師、など、実際に僕が出会った人の話です。

☆小3と小 6のきょうだいがどもっていて、今、ことばの教室に通っている。今後、親として、どうフォローしていけばいいか?

 今はいいけれど、将来悩むことがあったらどうするかの質問です。小学校の間は、ことばの教室があるけれど、中学生になったらどうしたらいいか、よく出される不安です。基本的には、子どもはどんなに苦しくても、自分の人生は自分で生きるしかありません。悩むこと、困ることも自分で対処するしかありません。その「生きる力」を学童期に育てておきたいものです。しかし、悩んだときは、ひとりで抱えないで、親や誰かに相談する「人に助けを求める力」も必要です。僕の開設している吃音ホットラインの電話相談や吃音親子サマーキャンプなどを利用して、決してひとりでは悩まないようにしたいものです。

 僕の両親は、僕のどもることについて聞いてくることはありませんでした。僕は今となっては、これでよかったと思っています。一緒に考えていくというのが基本ですが、僕の親のように、「どんなに苦しくても、自分で悩んで、自分で対処していけ」と手を離すこともひとつかもしれないと僕は思います。

 次回も岡山キャンプの続きです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/1/4