沖縄吃音キャンプの報告を中断して、鹿児島の報告です。

 今、鹿児島市にきています。2013年に鹿児島で開かれた全国大会で僕は記念講演をしましたが、その時の大会事務局長の宮内さん、今回の企画者の福田さん、溝上さんと4人で食事をしながら、打ち合わせをしました。

 明日、第41回鹿児島県難聴・言語障害教育研究会・鹿児島大会で講演し、翌日は、吃音学習会が開かれます。2日間フルに使って下さること、僕はとてもうれしいのです。
 吃音学習会には、ことばの教室に通う保護者が34名、教育や療育に関わる人が22名、ことばの教室の教師が25名、合計81名が参加して下さるようです。
 
 僕はいつも、「こき使って下さい」とお願いします。講演もできるだけ長い時間を希望しますし、めったに行かないところに行く時は、講演だけでなく、翌日、相談会のような、保護者も参加できる学習会のようなものができればとつい思ってしまいます。僕の吃音にかけるその気持ちを、今回は「忖度」して下さり、難聴学級・ことばの教室の鹿児島県大会だけでなく、保護者も参加できる学習会を、翌日に企画して下さいました。

 僕は、つくづく、吃音について話したいこと、伝えたいことがあるのだと、自分ながら「吃音への業」を感じます。このような話す機会を作って下さること、本当にありがたいです。

 明日からの二日間がとても楽しみです。吃音が縁でいろんな出会いができる喜びを、73歳になったせいかもしれませんが、とても感じるし、感謝しているのです。
 
 2013年の、第42回全国難聴・言語障害教育研究協議会・全国大会鹿児島大会の報告集に、僕の講演記録が紹介されています。講演記録は長いので、その抜粋を、僕たちの機関紙で紹介しました。そのごく一部分を紹介します。 

第42回全国難聴・言語障害教育研究協議会
      全国大会鹿児島大会   <記念講演>
 子どもと語る、肯定的物語〜吃音を生きて、見えてきたこと

 はじめに
 昨日、鹿児島市内に入り、とても懐かしい感じがしました。48年前に、私の吃音との旅が鹿児島市から始まったような錯覚を覚えました。
 私はそれまで、吃音に深く悩みながらも、真剣に考えることも、治す努力もしませんでした。1965年の夏、新聞や雑誌などで「どもりは必ず治る」と宣伝しており、子どもの頃から行きたかった、念願の吃音治療所「東京正生学院」に行きました。そこでまずやらされたのが、上野公園の西郷隆盛の銅像前での演説です。「突然大きな声を張り上げますが、私のどもりの克服にご協力下さい」と、西郷さんが見下ろす下で、毎日演説しました。西郷さんが見守り、応援してくれているような気がしました。
 今、鹿児島市内のあちこちで西郷隆盛の銅像を見たとき、私は、ここを出発し、今またここにようやくたどり着いたなあという感じがしたのです。
 吃音については様々な考え方があります。「吃音に悩み、治したいと考えている子どもに、完全には治らないまでも、少しでも症状を軽減してあげるのが、ことばの教室の教員、言語聴覚士の役割ではないか」との主張があります。一般的な考え方かもしれません。しかし私は、少しでも治そう、軽減しようと考えることでとても辛い人生を歩んできたので、吃音症状に焦点をあて、軽減しようとする取り組みには反対してきました。
 午前中の岩元綾さんの講演の、ダウン症を否定しないでほしいとの心の叫びは、私の、どもりを否定しないでほしいと結びつきます。「吃音を治そう、軽減させよう」とすることが、吃音否定につながらないことを願っています。
 私は今年69歳になりました。吃音と向き合った48年の人生で、いろんな人と出会い、いろんなことを学びました。セルフヘルプグループ、交流分析、論理療法、アサーティヴ・トレーニング、認知行動療法、アドラー心理学などから学んで、考えてきたことを90分の講演で話すのは難しいのですが、当事者研究、ナラティヴ・アプローチ、レジリエンス、リカバリーの概念でこれまでの取り組みを整理し、今後の吃音の新しい展望を話します。
 今回話す、4つの概念について、少し説明します。

 <当事者研究>
 生活の中で困っていることを自分一人で、あるいは、周りの人と一緒に研究して、対処法を見いだす。
 <ナラティヴ・アプローチ>
 物語・物語るの意味で、人は「ストーリーを生きている」と考え、自分を苦しめてきた語りを、自分が生きやすい語りへと変える。
 <レジリエンス>
 困難な状況にあっても、生き残る力、回復力、しなやかに生きる力。
 <リカバリー>
 病気や障害が治らなくても、自分が求める生き方を主体的に追求する。吃音に当てはめると、吃音に振り回されずに自分が幸せに生きる主人公になること。

 吃音を治したい、軽減したいと願うことで今の自分を否定し、悩みを深めた私や、多くの人の経験から、「吃音を治すではなく、吃音と共に生きよう」と主張してきました。その私の考えに、「吃音を治そう、軽減しよう」としても、吃音を否定しているわけではない、吃音を肯定して生きることと、吃音症状の軽減を目指すことは両立する、と主張する人からは、私は偏った意見の持ち主とだと思われているようです。

 上野公園の西郷隆盛の銅像の前で、「吃音を治そう」と必死に演説していた青年が、48年の年月を経て、西郷隆盛のふるさと鹿児島市で、どもる子どもを援助することばの教室の先生の全国大会で「吃音を治そうとしないでほしい」と講演をしていること、感慨深いものがあります。

 おわりに
 教育評論家の芹沢俊介さんが、『新・吃音者宣言』(芳賀書店)で私が書いた文を、「どもる言語を話す少数者という自覚は実に新鮮である」と紹介して下さったのを最後にお伝えします。

 「治らないから受け入れるという消極的なものではなく、いつまでも治ることにこだわると損だという戦略的なものでもない。どもらない人に一歩でも近づこうとするのではなく、私たちはどもる言語を話す少数者として、どもりそのものを磨き、どもりの文化を作ってもいいのではないか。どもるという自覚を持ち、自らの文化を持てた時、どもらない人と対等に向き合い、つながっていけるのではないか」     <大会報告集より>

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/06/01