キャンプで大切にしていること
 2日目の朝の放送が鳴らず、少し寝坊してしまい、朝の体操ができませんでした。滋賀のキャンプでは考えられないことです。沖縄のゆったり感がすっかり身についてしまったようです。
 最初のプログラムは、親と子は作文、スタッフは全員、キャンプの基礎講座です。
 まず、僕たちが、滋賀での吃音親子サマーキャンプで考えていたことを話しました。第1回目から、目指していたのは、普段、話をする機会が多くない吃音の話をしようということと、苦手な芝居に挑戦しようということです。
 
 楽しさと喜び
 初めの数回は、自治体の聴言センターの言語聴覚士と合同で実行委員会を作っていましたが、意見の食い違いがだんだん大きくなっていきました。言語聴覚士たちは、普段しんどい思い、つらい思いをしているのだから、とにかく楽しいものにしようと思っていました。スイカ割り、ぶどうの種とばしなど、子ども会のキャンプならそれでもいいでしょうが、僕たちは、きちんと吃音に向き合いたいと思いました。楽しいキャンプではなく、喜びを味わってもらうキャンプにしたいと考えたのです。他のどもる子どもと出会う喜び、嫌だと思っていた吃音の話をする喜び、苦手としていた芝居に挑戦してみてこんなことができるのだと新しい自分をみつける喜び、そんな喜びは、きっと楽しさに変わります。
 芝居は初めは簡単なことしかできませんでしたが、何回目からは演出家の竹内敏晴さんがキャンプのために脚本を書き下ろして下さって、合宿で演出をしてもらいました。その事前のレッスンがあるから、キャンプ当日、子どもたちの前で芝居をし、練習をし、上演までもっていけるのです。
 2泊3日のキャンプのプログラムは、かなりハードスケジュールですが、「早くしなさい!」という声かけはほとんどなく、すーっと流れていきます。話し合いと芝居の練習のほかにあるのは、2日目の午後の山登りです。楽しい要素はほとんどないように見えますが、参加した子どもたちは、楽しかったと言います。僕は、沖縄のほかに、静岡、岡山、島根、群馬でのキャンプに行っていますが、それぞれ違います。遊びを大切にしているキャンプもあるし、保護者と僕の時間をたっぷりとるキャンプもあります。その地域でできることをしたらいいと思うのです。だから、沖縄は沖縄のキャンプを作りあげていってくれたらと思います。
 そんな話をして、参加者から質問をしてもらいました。

続けて参加する人はいますか。
 複数回参加する人たちが、話し合いのときのいいモデルになります。初めて参加した親は、今までのことを思って泣きます。そしたら、先輩の親が、私も最初はそうだったと言ってかかわっていきます。リピーターは多いです。

治したいと思って参加した子が、治らないと聞いて葛藤が起こりませんか。
 葛藤は当然起こります。葛藤は早いほうがいいでしょう。映画監督の羽仁進さんは、家で「どもり。どもり」と言われたそうです。どもりを否定的にとらえていないから、そう呼んだのでしょう。「放任主義」という本で書いています。そのことは社会に出てから、免疫となり、よかったそうです。葛藤があったり、傷ついたりということは誰でも起こりえます。どこかで傷つくのなら、僕たちがいるところで、傷ついた方がいいです。サポートができるからです。僕は、真実は決して人を傷つけないと信じています。

今回、子どもと成人とのかかわりがなかったのは、何か意図がありますか。
 どもるという経験があるというだけで、どもる成人と会ったり話をしたりすることは危険だと思います。吃音のことや、グループとは何かを学び、生きる上で大切な心理学を勉強している成人のどもる人ならいいのですが。まだ、自分が悩みのまっただ中にいる人と会うと、ネガティヴな話ばかりになってしまいます。あることばの教室が、成人のどもる人に会わせたいと思い、そういう企画を立てたそうです。でも、苦しかった、つらかったという話ばかりで、聞いている子どもも保護者もだんだん暗くなって、つらくなり、治さなきゃ!となったそうです。
 滋賀の吃親親子サマーキャンプに参加したいと申し込んでくる成人のどもる人は実は少なくありませんが、すべてお断りしています。大阪吃音教室でしっかりと吃音について学び、自分の問題をある程度解決できている人、あるいは解決の道筋を知っている人に限定しています。親から、尋ねられて、自分のことばで語れる人で、親にマイナスの影響を与えない人でないとだめなのです。どもる経験があるというだけではだめです。
 カウンセリングでも同じことがいえます。何らかのトラウマをもつ人がカウンセラーになることは少なくなく、それは悪いことではないのでしょうが、自分の課題がある程度処理できている人でないと、同じような課題を抱えるクライエントと出会うと、自分の問題が浮かび上がってくると思います。そういうときは、チェンジするそうです。渦中にある人に出会わせるのはある意味危険だと僕は考えています。
 僕が関わっている、静岡、岡山、島根、群馬のキャンプが長く続いているのは、どもる子どもに焦点を当てているからです。どもる子どもとその親の幸せのためにという、この視点がぶれなければ、続いていくということなのでしょう。成人は、成人のセルフヘルプグループに参加すればいいのですから。

◇ことばの教室で吃音について勉強している子と、何も知らずに参加した子とがいると思いますが、初めて話を聞いてどう思うのだろうかと思いました。
 全く問題はないと思います。意識させるとどもりがひどくなると言われてきました。アメリカ言語病理学にも「沈黙の申し合わせ」というものがあり、大人は知っていて心配もしているのに、子どもがどもっても何も言わない。そういう「しらんぷり」をするのはやめようと僕は言っています。3歳の子どもでも、吃音やどもりということばは知らなくても、自分が話しにくいこと、ほかの子どもと違うことに気づいています。意識させるのが悪いのでなくて、マイナスのものと意識させることがいけないのです。むしろ、僕は、早期自覚教育を提唱しています。

 時間ぎりぎりまで、まだまだ質問は続きました。滋賀での吃音親子サマーキャンプに参加してもらうのが一番ですが、沖縄から滋賀は遠いです。でも、お寺に総本山があるように、2泊3日のキャンプは総本山のようなものなので、一度是非、参加してみて下さいと薦めました。
 僕たちが「キャンプ基礎講座」をしているとき、子どもと親は、作文を書いていました。話し合いでは、みんなで吃音のことを考えます。作文の時間は、自分ひとりで吃音のことを考えます。どちらも大切な時間だと改めて思いました。

 次は、2回目の話し合いです。1回目の話し合いをしているメンバーと同じメンバーで話し合いを続けます。1回目の話し合いを共有して、2回目の話し合いが成立するのです。
 自分の話を聞いてもらうだけでそれが特効薬だと言った人がいます。そういう場が今までなかったということなのでしょう。こんな場が大切だと思えました。参加していたスタッフは、みな参加者のそんな発言を聞きながら、続けていきたいという思いを強くしたようです。子どものためにと思って参加した親も、実は自分のためでもあったのだと気づきます。先輩のどもる子どもや大人に出会って、先の見通しを持てたことがよかったと言う人もいました。年代が違う人と同じ場にいることでわかったことです。いろいろな情報が飛び交っているので、ちゃんと知ることが大切だという話もでました。何も知らなかったら、間違った情報に出会ったとき、判断する力がなかったら困ります。情報を選びとる力が大切になってきます。

 キャンプのふりかえり
 午後は、全員で輪になり、キャンプを振り返りました。吃音ショートコースという大人のためのワークショップでは最終プログラムとして定番でしたが、キャンプでは初めてです。これくらいの参加人数なのでできることでした。ひとりひとりが、マイクを持ち、感想を話していきます。子どもも大人も対等に、感想を話していきました。
 子どもたちは、どもるのが自分ひとりではないと分かって安心したという話をしました。本を読んで僕のことを知っていた子が僕を見て、「ほんものがいる」と言ってくれたそうです。僕の知らないところで、本を読み、共感してくれ、そういう生き方をしようとしてくれている人がいることを知って、本当にうれしかったです。
 対話の重要性を再確認し、子どもと哲学的対話を心がけたいとの感想もありました。学校で困っていることを出して、対策を考えたけれど、ひとりでは思いつかない事もみんなで考えたらたくさん出てきて、やっぱりキャンプはすごいと思ったという話もありました。
 自分のことばで自分の思いを語ること、それを聞くことの快さを存分に味わった最後のプログラムでした。
 来年も続きそうです。1年後の再会を約束して、キャンプを終わりました。
 外は、まだ蝉が鳴いていて、カラッとした暑さが続いていました。まったりということばがぴったりだった沖縄でのキャンプ。英気を養い、また現実の世界で、ときに悩みながら、ときに困りながら、それでも自分らしくどもりながら生きていってくれるでしょう。そんな子どもたちのしなやかな強さを感じた2日間でした。
 実行委員の皆さん、いろいろとありがとうございました。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/11/21