大阪吃音教室の僕の吃音基礎知識3です。

     3. 「幸せに生きるために」

質問 「どもる人が生きていくなかで、人生の楽しさや充実感を味わうにはどうすればいいいか。どのようにすれば幸せに生きられるか」ということを知りたいです。

【伊藤】
 それはとても簡単です。「どもる人が」という前提を外せばいいのです。どもるということを抜きにして、「人が幸せに生きられるということはどういうことか」を考えていけばいいです。もちろん、全ての人にとっての幸せなんてありえないので、一人ひとりの幸せについては自分で考えていくしかないですけどね。

 でも仮に、あえて、「どもる人が」という条件で考えると、一番必要なのは「どもりそのものを認めて生きるという」ということだと思います。「どもる事実を認める」ということが大前提です。それ以外の前提はありません。その前提があった上で、「自分は何がしたいのか」「何が好きなのか」「何を美味しく感じるのか」「どんなことに、ワクワクするのか」。それを追求していくしかないと思います。

 幸福論で有名なアランは「よい天気をつくり出すのも、悪い天気をつくり出すのも私自身なのだ」と言い、「悲観主義は感情で、楽観主義は意思の力による」と言います。「人は誰も幸せに生きる能力があり、幸せになる権利がある」、さらに、「人は誰も幸せになる義務がある」とまで言います。幸せを素直に追求していけばいいんだということです。世の中には「幸福論」の本がたくさん出ているので、そういうものから、自分に合いそうなものを選んで、読みながら、「自分にとっての幸せは何だろう?」と考えていくのは、とても意味のあることだと思います。

【川】
 この質問をしたのは僕で、まさに伊藤さんのおっしゃる通りなんです。どもりという要素は関係なく、幸せになることは僕も一緒だと思いますが、そこに「+(プラス)どもり」という要素が加わることで、「どもる人ならではの幸せ」みたいなものがあれば考えたいと思いました。

【伊藤】
 それは大いにあると思います。「+(プラス)どもり」という視点で考えると、他の人だったら、朝起きて挨拶をして「おはよう」と言った時に、「おはよう」がスムーズに言えたからといって「おお!今日は1日気持ちいいぞ」とかそういう喜びはないですよね。ところが僕たちは「気持ち良くおはようが言えた」という、そのことだけでも幸せに感じたりします。一日幸せな感じが昔の僕はしました。今はその程度では幸せは感じませんが。

 1965年の夏、僕は東京正生学院でどもる人たちに出会った時、どもっていっぱいしゃべり、いくらどもってもみんなが平気で聞いてくれた。仲間がいて、おしゃべりが気兼ねなくできる毎日がお祭りのような感じがしました。どもらない人間だったら毎日がお祭りなんてことはありえないですが。苦しんできた人間が仲間と出会い、思う存分どもれる環境で話し、聞いてもらう。そんな環境に置かれた時に僕は「ああ、幸せだな」と思いました。
 
 それは苦しんできた人間だから感じることです。そういう意味では、どもりで苦しみ、人間関係やコミュニケーションで苦しんできたという、”苦しみ”が前提にあるから、人と通じ合えた時の喜びは普通の人が感じるよりも大きいのだと思います。それは神様から苦しんできた人間へのある意味ご褒美のような気がします。

 竹内敏晴さんも似たようなことを言っていました。「ことばが劈(ひら)かれる」体験をしたあと、「おはよう」と自分が言ったのが相手に伝わり、それが自分にも伝わってきた。耳がまったく聞こえない時期があった竹内さんは自分では「おはようございます」と言っているつもりが、相手には「おあよおおあいあう」としか聞こえていなかった。耳が聞こえるようになって、自分のことばも変わってきて、ことばが相手「ぢか」に伝わった感じした。しばらくの間「毎日がお祭りのようだった」と言っています。

 いろんな感覚、感性は苦しんできた人間に与えられたものだと思いますね。それが苦しんで生きて来た人間の特権だと思います。ありがたいですよね。

 それと、どもりと認めても、どもりと共にサバイバルしていくのは、そんなに簡単なことではない。どうしたら、劣等感をもった、弱点と一般的にはみられるものと共存して生きていくかには、それなりの覚悟と、知識と、訓練が必要になる。そのために僕たちは、精神医学、臨床心理学、演劇、笑いやユーモアなど、一般の人なら学ばないようなことを、どもりに悩んできたおかげでいっぱい学ぶことができました。どもりでなければ出会えない、様々な領域の第一人者と出会うことができた。これもどもりで悩んだけれど、どもりを認めて生きるようになったからこそのプラスですね。僕たちの20年続いた研修会である、吃音ショートコースで学んだことは20冊の雑誌となりました。その時の講師と共著で4冊の本を出版し、合計、15冊の本を書いて出版できたのも、多くの人との出会いのおかげです。

 「どもりを治す、改善する」の地点に居続けたら、「かわいそうな、理解してあけなくてはならない存在」とはみてくれても、幅広い共感は得られなかったと思います。「吃音と共に豊に生きる」は、どもらない多くの人と共感し合えるものだからです。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/05/20