骨折をして、ギプス生活のおかげで、外出好きの僕も、さすがに外へは出にくくなっています。おかげて、今年の8月に行われる「第4回、臨床家のための講習会」のテーマ、レジリエンスの資料を読む時間にあてることがてきています。6月には、その準備合宿が名古屋でありますので、今の時期、ちょうどよかつたのかもしれません。レジリエンスについて学ぶに従って、「いじめの問題」とリンクしていきます。前回から始めた、スタタリングナウの紹介です。1994.7.16日のものですが、このころから、もっとレジリエンスが浸透していればと、レジリエンスの必要性を強く感じます。


        いじめと『こどもの権利条約』

 「僕だってまだ死にたくない。だけどこのままじゃ『生きジゴク』になっちゃうよ」
 東京の当時中学校2年生だった、鹿川裕史君はこう走り書いた遺書を残して自殺をした。この悲痛な叫びは裁判官には届かなかった。教師までも寄せ書きに加わった『葬式ごっこ』を「ひとつのエピソードとみるべき」とした判決に、当時多くの批判が出された。

 それから3年、今年の5月20日、「自殺はいじめが原因で、適切な指導をしなかった学校にも貴任がある」と訴えた、《鹿川君いじめ訴訟》に対して、東京高裁は一審判決を覆した。
 「多数の生徒に教師まで加わった、鹿川君の存在を否定するような行為は、彼にとって、教師が頼りにならない存在だと思い知ったに違いない」として、『葬式ごっこ』をいじめと認定し、自殺に対して、学校の責任を厳しく糾弾した。

 その日のほとんどの新聞の夕刊は、この判決を支持し、一面で大きく取り上げた。
 その10日後の5月30日、岡山の中学3年生菅野泰樹君が、いじめた子の名前と、取られた金額や暴行の様子を書いたメモを残して自殺をした。

 この中学の学校長は、はじめは「自殺の原因は、いじめかどうか断定できない」と言っていたが、調査され、追求される中で、「自殺の原因はいじめだった」と認めた。
 鹿川君の命をかけた訴えは、新聞、テレビなど、マスコミで大きく取り上げられたが、この岡山の中学校には何も届かなかったということになる。

 昨年、いじめによる自殺が8月までは、ほぼ一ヶ月に一度の割合で起こった。一時表面的に沈静化したかにみられたいじめは再び増加の兆しがみられるという。
 いじめられている子どもたちの多くは、周りに何らかの、シグナルを送っている。学校側も知っている場合が多いが、事の重みを感じず、対応しようとしない。そして、自殺者が出ても、なお自らの責任を回避し、いじめの存在を否定する。

 もう、学校現場には何も期待できないのか? 《鹿川君いじめ訴訟》の判決が下った2日後の5月22日、日本においてもやっと、『こどもの権利条約』が、発効した。1989年11月、国連総会で採択されてから、多くの国が次々と批准していく中で日本では、5年近くかかっている。この批准の遅れは、単に時の政局の事情だけにあるのではなく、日本における人権意識の遅れを表していると言えよう。確かに、戦争が自国の中であり、悲惨な状態におかれている子どもたちに比べ、日本の子どもは恵まれている。しかし、物質的にも恵まれてはいる日本で、いじめ、体罰、虐待など、子どもをめぐる問題は山積している。

 前文で言われる、「こどもの人権を十分に配慮し、一人一人を大切にした教育」が現実になされていたら、鹿川君、菅野君のような事件は起こらなかっただろう。

 子ども自身が声を出せる場を保証し、それを真摯に受け止める環境をつくらなければならない。

 「あの時、いじめている連中が悪いと思ったが、鹿川君に手を差しのべなかった自分にも責任がある。それを忘れずに生きていく」との鹿川君の同級生の声に救われる。そして、この声は、『こどもの権利条約』をこどもたち自身へ、周りのおとなへ、徹底させる必要性を訴える声でもある。今、『こどもの権利条約』の精神を積極的に学校教育に生かさなければ、鹿川君、菅野君等、多くのいじめの犠牲者は浮かばれまい。 
                          『スタタリング・ナウ 癲2号』 1994.7.16日

 日本吃音臨床研究会  伊藤伸二 2015/05/05