吃音の小学6年生の男子の卒業式についてま報告です

 数日前にその6年生から電話がありました。無事に卒業式を終えた、安堵感が声に表れていました。テンポ良く自分のことばを言う役割は、誰かに代わってもらいました。安心感があって、あまり緊張感なく、卒業証書を校長からもらったのですが、その後の抱負をいう段になってねがんばったものの、声が出ませんでした。なので、仕方なく頭を深々と下げて壇上から降りたそうです。そのいきさつを彼は僕に報告してくれました。

 ある人からみれば、ひとつは友達にかわってもらい、もうひとつは結局言えなかったのだから、かれの卒業式は不満足な結果に終わり、失敗だったのではないか、と思うかもしれません。しかし、僕はそうは思いません。母親から電話で相談があり、直接僕と出会って話をし、いろいろと考えて臨んだ卒業式。からだを壊すほどに悩み、卒業室にでないことも選択肢にあった中で、かれは、友達に自分の吃音について、説明し、助けをもとめた。それは立派なサバイバルです。卒業証書をもらった後、ことばがでなかったことを彼は受け止め、電話で僕に穂亜濃くしてくれました。それも、落ち込んだ様子もなく。

 自分の体験にしっかり向き合い、出来たことと出来なかったことをはっきり認識し、それを言語化する。僕の小学時代ならとてもできないことです。今回のこの体験は彼にとって大きな意味をもつだろうと思います。

 どもらずに堂々と言えたこと、どもりながら堂々と言えたこと。これらも意義あることに違いないのですが、できなかったことを他者に素直に報告できること。これもとても大きなことのように思えます。

 僕たちは、吃音(どもり)は治らない、治せないものととらえています。その「吃音と共に生きる」とは、どのような形であれ、サバイバルしていくことです。僕たちは、どんな手をつかっても生き延びろといいます。彼にとっては、無事に卒業式を終えたこと、話せなかったけれど、「僕はだめな人間」だと考えなかったところに、大きな成長があるのです。

 僕にとって、中学時代は一番苦しい時代でした。しかしそれは、一人で誰にも相談せずに悩んでいたからです。幸い彼には、とても理解ある両親がいて、吃音について一緒に考えてくれています。さらに第三者のぼくという相談相手もいます。また、夏になれば、吃音親子サマーキャンプに参加することができます。その中で、一歩、一歩成長して行ってくれると信じています。
 彼本人から電話があり、ことのいきさつを説明してもらったのは、僕にとってうれしいことでした。

 明日からしばらく大阪を離れます。従ってブログもしばらくお休みします。10日から気持ちも新たに書いていきたいと思います。しばらく間、過去に書いたブログも是非お読み下さい。

 4月10日からはしっかりと書いていきたいと思います。エイプリルフールではありません。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2015/04/01