どもる度に「すみません」を言う女子高生

早いものでもう今年も残りわずか。この一年もどもり一色の生活を楽しくおくれました。糖尿病という持病がありながら、一度もスケジュールの穴をあけることなく、されなりに元気で過ごせたのは、吃音に関して、「しなければならないこと」「したいこと」「想いを伝えたいこと」がたくさんあったからでしょう。スケジュールが立て込むと、振り返ることなく、スケジュールに精一杯向き合いました。なので、このブログも、ほとんど書くこともなく過ぎていきました。

 時系列に出来事、考えたことを書いていくと、とてもかけそうにありません。順不同で、思い出したことから書いていこうと思います。考えたこと、思ったことのきっかけとなった出来事、スケジュールも正確ではないかもしれませんが、書いていこうと思います。

 静岡のキャンプの時です。
 中学生・高校生との話し合いです。看護師に将来なりたいという、女子高生は仕事への期待や、不安を話しました。少しどもるのが目立つのですが、それはまったくきにならないのですが、どもって声がでないとき、「すみません、すみません」と下をむいて言うのがとても気になりました。
 「こんなにどもる私が、看護師としてやっていけるか」と少しの不安はあるようですが、看護師になりたいとの想いがとても強い女の子です。母親が看護師で、父親も病院で働いていて、家族の会話の中で、仕事に関していろんな話が出て、それで、看護師の仕事に就きたいとおもったのでしょう。
 昨年、札幌の病院に勤める看護師が、吃音を苦にして自らの命を絶ったことも話しながら、しばらく仕事について話し合いました。「あなたと同じ程度によくどもる人が、看護師になり、苦労しながらも定年ちかくまで、働き続けているはなしなどをしながら、誠実に、責任感があり。まじめに取り組めば、苦労があるけれど、仕事はできる。そこまで、強い決意があるのなら、是非、がんばって欲しいと話しました。

 吃音は、治らないものの、自然に変化はしていきます。その人の資質のようなもので、何が影響しているのかわからないのですが、吃音を治そうと訓練せずとも、生活の中で、どもりを認め、隠さず、できるだけ丁寧に話していくことで、どもりは変わっていきます。それは僕の経験でもそうですし、数千人のどもる人に出会って、あまりどもり方が変わらなかった人は、ざつと思い返しても、20人もいません。だから、ほとんどの人は自然に、完全には治らないにしても、随分と話せるようになると言っていいと思います。僕も、かなり変わりましたが、自分の名前を言う時は「・・・・いいいとう」なったり、数字の「なな」や「いち」を言う時、寿司の注文で「たまご」と言う時、ほとんどの場合どもります。どもる「音」は残り、かなりどもることもあるけれど、日常生活の会話や、講演・講義で困ることは、100パーセントありません。そんな話をしました。そして、

 「すみません、すみません」と、どもる度に言うのは、絶対にやめて欲しいといいました。「何が、どうして、どもることが、すみません、になるのか」「何も悪いことをしているわけでもない」「すみません、といってしまうと、極端に言ってしまうと、すみませんと思うなら、どもるのをやめろ」言われることになってしまう。「どもるな」と言われることは、どもる僕たちには「話すな」と同じことになる。

 「そんな言語生活をしていると看護師にはとてもなれない。まず、顔をあげて、堂々ととまでは言わないが、平気なふりをして、相手の目を見て、「すみません」を言わずにどもろう」

 これからの生活で、心がけることは「すみません、と言わずにどもることをこころがけて欲しいと言いました。無意識レヘルまで「すみません」がからだに入ってるので、強く意識しないとできないでしょう。

 「がんばって、半年つづけてみな」と話して、また後日報告して欲しいと話して分かれました。

 「すみません」と言うのは「何を目的にした行動なのか」しっすり考えて欲しいといいました。アドラー心理学の「目的論」にたつと、いろんなことが考えられます。どもりは哲学たどつくづく思います。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/12/14