「常に、ユーモアを忘れずに」

 これまで見なかった、2014年「若者たち」の最終話を見ました。第一話を見たのですが、あまりの騒々しさに、ちよっとしんどくなったのと、一番忙しい時期に重なっていたせいかもしれません。見なくなっていたのが、最終話だけでも見ようと思いました。最終話で気づいたのですが、「原案・山内久、森川時久」とありました。

 山内久さん。失礼ながら、まだがんばっておられたのかとネットで調べたら、山内久さんの現在の写真もあり、89歳とありました。僕と19歳離れていたと初めて知りましたが、もっと離れているとの感じをもっていました。

 山内久さんは、前回紹介した映画「若者たち」のシナリオライターです。
 若者たちを無料で借りだし、「公開討論と映画の夕べ」のイベントが終わってからも、山内久さんとは長いつきあいがありました。言友会5周年記念祭では「若者を明日を築くために」のタイトルで、公害闘争、障害者運動、青年運動、福祉活動など、様々な領域で活動する若者をシンポジストに「真のいきがいとは何か」の討論会をしたとき、山内久さんも加わって下さいました。

 この5周年記念祭は、僕たちにとって大きな転換点でした。
 吃音に悩む青年である前に、この社会の中で、様々な矛盾、葛藤を抱えながらも、一人の青年として、この日本の社会の中で、貢献したい。熱い思いをもった人たちと話し合ったのです。

 若者たちの、あの歌の作曲者で、「映画・若者たち」の音楽を担当した、映画音楽の巨匠・佐藤勝さん。黒澤明監督の音楽をよく担当されていた人です。僕たちのセルフヘルプグループの歌を、その佐藤勝さんに作曲してしたいたぎました。「一人ぼっちから、二人へ、そしてみんなへと」大きな輪になって広がっていく歌です。シュリークスというグループに歌ってもらった、5周年記念祭には、500人もの人が参加して下さいました。

 「どもりを治す・改善する」という、どもりにとらわれた生き方から、「人間として、どう生きるか」を考える、新しい旅立ちの一歩を、温かく見守って下さっていたのが、山内久さんでした。
 逗子市山の根のご自宅に遊びに行ったこともありました。毎年の年賀状で、いつも僕への声援を書いて下さっていました。山内久さん独特の字が、好きで、一年間僕の机の前に飾っていました。残しておけばと悔やまれます。

 「常に、ユーモアをわすれずに」は、山内さんの書体と共に、僕の中に生き続けています。僕たちの大会で、僕と対談をしたことがありました。内容は忘れましたがタイトル、「時こそ、今」は忘れたことがありません。

 「常に、ユーモアを忘れずに」
 「時こそ、今」

 年賀状で、長く僕を励まし続けて下さっていましたが、いつか年賀状のやりとりもなくなって、どうしておられるか思い出すこともありましたが、月日が流れていきましたが、再び出会えました。

 「若者たち 2014」の冒頭で、「原案・山内久」を目にして、今、いろんな思い出や、だいたい見ている、山内さん脚本の映画を思い出しています。代表作である、ネットでの紹介作品だけでなく、僕には、山田洋次監督作品、ハナ肇主演の「運が良けりゃ」が好きでした。おそらく、「フーテンの寅」さん映画の源流だと思います。「若者たちの」の三部作は、DVDとして持っていますが、他の山内さんの作品を、もう一度見たいと強く思いました。


 山内久・脚本家(1925年〜)
1950年に東京外国語大学卒業後、松竹大船撮影所脚本部に入社。
1959年に松竹を退社し、フリーとなる。
■「幕末太陽傳」(1957年 日活/監督 川島雄三)
■「豚と軍艦」(1961年 日活/監督 今村昌平)
■「私が棄てた女」(1968年 日活/監督 浦山桐郎)
■「聖職の碑」(1978年 東宝/監督 森谷司郎)
■ テレビドラマ「若者たち」(1966年 フジテレビ)

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/09/25