函館の夜景に涙した理由

 学童期から悩んでいた、どもり(吃音)にさらに深刻に悩み始めたのは、中学2年の夏休みが過ぎてからです。「どもりは必ず治る」との浜本正之さんの本を読んでも大声で発声練習していた時、「うるさい、そんなことをしても、どもり治りっこないでしょ」の母親の言葉に深く傷ついた僕は、それから学校だけでなく、家庭でも居場所がなくなりました。非行、不良少年の一歩手前までゆき、勉強もせず、夜のちまたをさまよっていました。

 北海道言語障害児教育研究大会の函館大会、記念講演の冒頭に、いつものように、落語のまくらにあたる話をしようと考えたとき、函館の夜景を山の上から見たとき、涙をぼろぼろこぼしたことを思い出しました。景色をみて泣いたのは、函館の夜景が初めてで最後です。なぜ、あんなに泣いたのか、その訳もこれまで考えたこともありませんでした。

 開会行事の全体会の控え室で、なぜなのか考えていたとき、ひとりぽっちの「夜が怖かった、つらかった」、自転車でいつも海岸の波打ち際で、波がきらりと光るのを眺めていた、中学、高校時代を思い出しました。

 函館に来たのは、大学4年生の時、3か月、8万円の日本一周の一人旅の時です。北海道には礼文利尻島から知床岬、襟裳岬とほとんど廻るなど、1か月近くいたのでしょうか。函館はその旅の終わり頃です。

 21歳の夏からは、僕は孤独ではなくなりましたが、函館の夜景の小さい家々の明かりをずっとみていたとき、温かい家族団らんが、中学2年生の秋からは求めても得られなかったときのことをおもいだしたのでしょうか。その時、小林旭の「さすらい」を口ずさんでいたかどうかは記憶にはありませんが、「函館の夜景に、なぜあんなに泣いたのか」を考えていたとき、

 「夜がまた来る 思いで連れて 俺を泣かせに 足音もなく 
 何をいまさら つらくはないが 旅のあかりが 遠く遠くうるむよ」

 を思い出し、歌いたいとおもったのです。しかし、懇親会ではなく、記念講演です。大雨で交通マヒをした時もあった中で、全道から230名ほどが集まっています。その冒頭でまさか歌を。誰も想像もできないことでしょう。しかし、今回の僕の講演で一番言いたかった「吃音を否定しないで欲しい」と結びつきます。吃音を否定することで、自分を否定し、あれだけ苦しかった学童期・思春期を送ったその象徴ともいえる「夜が怖い」。

 僕は、歌いたくなりました。しかし,歌詞を正確におもいだせません。国立特別支援教育研究所の久保山茂樹さんが近くにいたので、スマートホンで歌詞を調べてもらいました。でも、歌うかどうかはわかりません。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/09/15