どもる時は、どもるがよろしい

 先週の大阪吃音教室のテーマが、どもって声が出ないとき、どうサバイバルしているかがテーマでした。それに着いては後日詳しく報告したいのですが、例会の最後に出てきた話題について。

 どもって困るときは、一般的には大勢の前で話すときや電話や、上司への報告などだと思っていました。ところが、友だちと話すとき、どもらないようにしている、どもることを話していないなどの話が出ました。聞くと、友だちに、自分の劣等感や、弱点、短所をしられたくないとの話でした。そこで私はこんな話をしました。

 政治家や、企業の競争している場合では、弱点をみせることはマイナスかもしれないが、友だちなどの人間関係では、自分の弱みを隠していることは、よりよい人間関係をもちにはかえってよくない。どもることで、からかいや、いじめを心配するのは、小学生、中学生までで、成人になった友だち関係で、どもることがわかったからといって、その人を仲間はずれにしたり、軽んじたりはほとんどの場合ありません。僕は吃音に深く悩んできましたが、中学生、高校生の時、どもることで笑われたり、からかわれた記憶はありません。まして、大人になってからはありません。これは、僕がラッキーだっただけでしょうか。

 自分の弱さや、弱点を認め、それを自慢するわけではないけれど、素直に表現している人を、馬鹿にしたり、さげすんだり。仲間はずれにするような人がいたとしたら、それは、もう友だちでも、仲間でもありません。そんな人とはつきあわない方がいいと僕は思います。
 とても有名な大学の先生がいます。僕の尊敬する大好きな人です。その人はある面ではすごい業績のある人ですが、ご自分で言うには、弱くて、ドジです。よく失敗をします。しかし、それを隠すことなく、どうどうと認めて、周りの人にも自分の弱みを話します。その人の周りには常に人が集まり、いろんなことが出来ていきます。弱さを、ドジさを素直に表して下さるから、とても安心できるのです。「僕も失敗してもいいや」と自分を認められます。この先生のように、他の面では能力があり、実績があるからというのではなく、そのようなものがなくても、僕の身近な人で、本当の自分、等身大の自分をそのままに提示してつきあってくれる人は好きですが、自分の弱みを人に見せたくないと、自分以上の自分を演じる人は、僕は好きになりません。

 会社などで。無理をしなければならない場面もあります。しかし、親しい友だち、親しくなくても、利害関係のない、プライベートな場では、どもる自分をそのままにだしていきたいなあと、僕は思うのです。

 わざわざどもりを公表する必要はありませんが、そのような場では、どもって声が出ないときの対処はしないで、
どもる時は、どもるに任せるのが楽な生き方だと思います。
 僕は、どこでも平気でどもっていますので、とても楽です。この間の東京での吃音ワークショップの時、こんなにどもる伊藤さんは初めてだと言われました。気持ちよくどもつていたのですが。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/01/22