2013年4月12日(金) 開講式、どもりと上手につき合うために

初参加 仝務員目指している人▲好檗璽張轡紂璽坤瓠璽ー勤務の人O型擁〇磴了纏をしていたが公務員試験が合格し、現在自治体の福祉関係げ搬屋奮阿凌佑傍媛擦鬟ミングアウトするのは今日が初めて。吃音をコントロールして、6年間コールセンター勤務していた。疲れた。これから楽しく変わりたい・言語聴覚士専門学校の学生4名
 4名の初参加者と4名の学生。

 大阪スタタリングプロジェクト東野会長のあいさつの後、24年のベテラン徳田さんのリードで、お互いがどんな人かをしるために、4つのコーナーに異動して、徳田さんのインタビュウーに答える、自己紹介の変形のゲーム。
 「何歳から吃ってる?」
 小学校入学まで 小学校〜中学校 高校〜成人するまで20歳以上。
 「こういう場面が苦手、こういう場面だと吃りやすい」
 本読み、朗読 電話 スピーチ、発表、公の場での発表 その他
 「苦手な音は?」
 母音 た行 か行 すべて
 「自分のどもりについて家庭や職場で話しているか?」
 話している 家庭で話していない 職場で話していない

 後半は、伊藤が参加者の質問を受けてすすめる。
 
■質問1
【初参加者】 来週の月曜日に配属後、最初の自己紹介がある。私は「た」が苦手なので名前が言えない。どうしたらいいか。
【伊藤】 自己紹介の意味について考えたことはありますか?自己紹介の意味はなんでしょうか?
【質問者】 自分を知ってもらうため。
【伊藤】 自分を知ってもらうためですね。本当の自分を知ってもらいたい。そう考えると、どもって名前が言えたら成功。たまたまうまく喋れたら失敗ですよ。たまたまうまく喋れてしまったらこれからが大変になる。むしろ「派手にどもってやろう」というくらいの気持ちでのぞめばどうか。例えばお見合いでも同じことがいえる。お見合いの場でうまく喋れてしまうと、結婚してから「自分のどもりがいつばれるか」と、結婚生活が大変になる。それなら最初の時にどもったほうがいい。
 僕らのなかに、消防士の試験に合格した仲間がいます。彼は去年の5月頃、この大阪吃音教室で僕らに相談した。「消防士になりたいが、吃る自分が消防士としてやっていけるのか」それを聞いた時、僕は「どっちみち僕らはどもりで苦労する。いやな仕事で苦労するのはとても耐えられないが、好きな仕事で苦労するなら耐えられる」と言った。
 彼は、消防士になる決意をかため、試験に落ちたとしても受かるまで何年かかっても受けようと決めた。そして採用試験を受け、大阪は不合格だったが、東京は合格した。その彼が去年の吃音親子サマーキャンプでみんなの前でしたスピーチがとても印象的だった。
彼は「面接でひどくどもって、どもりのことも伝えた。それで採用されたのだから、今後どもりのことで何か言われても、どもりのことをわかった上で採用したのは採用した側の責任だから、平気だと」と言っていた。就職で心配だった親は、彼の話が聞けて良かったと何人も感想に書いていました。
 僕らの苦しみは「どもってはいけない場面がある」と思ってしまうこと。それは錯覚。
例えば教員が卒業式の場で名前を言うのにどもるのが怖くて悩んでいる。どもったときはどもりながら言うと、子どもたちに伝えて乗り切った。どもる覚悟をする。どもりながら生きるという覚悟。どもってでも喋りきるという覚悟。その覚悟を決めないと今後の人生が大変になる。

【参加者】 今も治す派のほうが多いのですか?

【伊藤】 圧倒的に、風潮は治す派です。「治さなくてもいいや」は、世界でも大阪吃音教室だけです。参加者に少し聞いてみましょう。

◇ 昔…治したい  今…ありのまま
◇  昔…いつか勝手に治るやろう  今…治らないならあきらめるしかない
◇ 昔…親友など一部の人とは喋っていたがそれ以外の人とは喋りにくかった  今…そんなに親しくない人でも、どもってでも喋りやすくなった。結婚式で両親への手紙を読んだ。昔だったら司会の人に読んでもらっていたと思う。練習で3分の原稿に12分かかった。
◇ 今は、吃っても絶体絶命なことはない、と思う。
【伊藤】 あきらめるということはとても勇気がいる決断です。活力のある決断。
あきらめることによって新しくはじまる。
◇ 昔…どもりを隠して苦しんで、この苦しみを背負って生きていくのだと思っていた。苦しんで生きようと思っていた。 今…大阪吃音教室に出会ってラクになり、どもりが圧倒的にプラスになることがわかった。

【伊藤】 吃音をコントロールしている時は体になじんでしまっていて、慣れているので気づかないけど、ラクになってみると、「あんなにしんどかったんだ」と気づく。竹内さんの体ゆらしをしている時のこと、あるお母さんが僕が体をゆらした時にボロボロ涙を流した。その女性は嫁姑問題でしんどい生活を送っていたが、それがしんどいことに気づかなかった。体ゆらしを体験した時に「これがラクな状態なんだ」と知り、普段はいかにしんどい思いをしているのかわかった。

◇ どもりは治らないから面白い。大阪吃音教室では、いろんなテーマで、いろんな角度から、いろんな話をします。そんなことができるのは吃音が治らないから。吃音が治るものだったら、軽くすること快善すること一辺倒で、改善する人は良くて、改善しない人はダメな人という単純な価値観になってしまう。

【伊藤】 治してしまったら「はい、さよなら」となってしまう。

◇ そういう意味で吃音は卒業することがないのがいい。

◇ ここに来たときは、まわりが吃音だとわからないくらいコントロールしていた。十何年前の話なんです。最初参加した時、温かく迎えてもらったけど、自分はこの人たちとは違うって思っていました。「そうは言っても治るやろう」って思っていたし、「この人たちみたいに、どもりたくない」っていう気持ちがありました。それで参加しなくなりました。
 それからもどもりを隠して一生懸命生きていたんですが、精神的にとてもしんどくなりました。しんどさの一番の中心にはどもりがあることもうすうすわかっていたので、「今ここでどもりに向き合わなかったら、死ぬまでしんどいだろう」と気づいた。その時に大阪吃音教室の人たちのことを思いだしました。
◇ 昔、高校生の息子を連れてきたお父さんが、彼女の話すのを見て「うちの息子もあなたのように、どもらずに話せるようになれるんでしょうか」と質問していた。彼女は、どもらない人の例として取り上げられていた。
【伊藤】 今はひどく吃る人の例として出てくるけどね。だからどもりは奥が深いというか、哲学的ですね。そのあたりが他の障害とは違う哲学、思想というか、面白いね。
で、今は隠してコントロールしていた時代よりラクなんでしょう?
◇ くらべものにならないくらいラクです。180度違う。
【伊藤】 それは吃る僕らが聞いたら理解できるけど、吃らない人が聞いたら理解できないでしょうね。「吃らないで喋っているほうがいいのに」って思いませんか?
吃らない人から見たら「こんなに吃ってたらしんどいだろう」って思いますよね。
アメリカ言語病理学とかカナダ言語病理学の人から見れば、昔よりどもり始めたこの人は治療の失敗作になる。でも僕らからしたらある意味ゴールというか。自由にどもれるようになった成功例です。
 検査法で見たらひどくどもる人間にカウントされるけど、行動・思考・感情という部分からすると精神的にはすごくラクになっている。こういうことっていうのはなかなか理解されにくいよね。世界中でこんなことをしているのはここだけ、というのがちょっと不思議ですね。大阪吃音教室に、カナダで言語聴覚士をしていた池上久美子さんが来てくれました。15年もかけて数百万円かけて、吃音をコントロールしようとしていた青年の話をして下さいました。治療の結果、コントロールしようとする結果、どもることへの恐怖がさらに大きくなる。
 僕が今書いている本テーマは「あきらめる」。ゴールはあきらめること。そして、あきらめることから再出発します。

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初参加者感想
◆ ここにきて前向きになれた。
【伊藤】 「あきらめる」という話をしましたが、自分が豊かに生きることはあきらめてはいけない。しかしどもりを隠していると、自分が豊かに生きることは無理。
◆ そうはいっても治したいし、あきらめられない。普通の人みたいに話したい。
【伊藤】 どもりが治っても何も変わらない。僕は21歳の時にどもりにとらわれなくなり、どもりが治ったと言える状態になった。それで急に人格者になるわけでもなく、能力が伸びるわけでもなく、これまでと何も変わらなかった。どもりが治ったら、すごく人間が変わるというのは幻想にすぎない。
 三重県の津市で、吃る子どもが「吃音を治したくない」と言っていた。どうしてそう思うのかと聞くと「普通なんてつまらない」と答えた。
◆ たくさんの吃る人に出会えて安心した。これから職場で困難なことがあってもここで相談できる。

【専門学生】
◆ これまでの授業では、吃音は治ると聞いていた。言語聴覚士の多くは「治る」と思っている。でも伊藤さんや、吃音とうまくつき合っている人を身近に見られて良かった。
◆ 伊藤さんに会うまでは吃音は治ると思っていた。吃音をもつ人に対してどう接したらいいか困っていたが、今日はたくさんのどもる人に接することができて良かった。
◆ 伊藤さんに出会って衝撃を受けた。そして「どもりが治らないなら自分には何もできないのか」と思っていた。でも認める、支えるということで言語聴覚士が力になれることを知った。一緒に支援できる言語聴覚士になりたい。
◆ 私もとても軽い障害といえるものを持っている。今日の初参加者の中に「自分にどもりがなかったらもっと違う道があったのでは」というあきらめられない葛藤を持つ人がいたが、自分もその気持ちがわかる。

【伊藤】 吃音は治らないからこそ学べることがたくさんある。
僕はこの2カ月で、アルコール依存症や末期がんなどの本をたくさん読んだ。違う障害、違う劣等性であっても、「治らないからこそ学べる」は普遍的なテーマになることがわかる。あきらめないといけないことは世の中にたくさんあるが、あきらめることによって人生を深く考えることができる。
 他に質問があり話し合いましたが、紙面の都合で省略しました。楽しく、真剣に話し合って、大阪吃音教室はこあして、また新しい年度が始まりました。
 仲間がメモをしていてくれるので、このような報告ができました。仲間に感謝。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/04/14