どもる教師が卒業式を無事に終えた体験

 教師の体験は、ある意味見事な体験でした。
 妻にこれまで話さなかった自分の吃音について、話す前、30分も号泣します。何事を打ち明けられるのか、「外に、隠し子でもいるのか?」など不安になるほどの光景だと思います。
 妻に打ち明けた後再び私に電話をかけてきたので、私は次のアドバイスをしました。

  これまで隠し続けてきた吃音をみんなに知ってもらういい機会にすることを前提にする。その上で。
 
  ,匹發辰浸は、どもるにまかせて最後までどもっても言い切る。
 ◆〆能蕕んばってみるが、どうしても生徒の名前がでないときは、教頭にでも代わって言ってもらう。

 そのために、生徒にも、教員全員に吃音について話し、「名前がでない生徒がいることで困っている」と話し、,△梁从をもっていることをあらかじめ話して、理解を求めておかなくてはなりません。

 まず、私は生徒に、自分が吃音に悩んできたことを話すことが不可欠だと言いました。君たちの中に言いにくい名前があること、普段はきづかなかった子どももいるかもしれないが、授業中ははなせても、言えない人の名前では、ひどくどもって言えないことがあることを話した上で、どうしたらいいか、生徒に相談することをすすめました。
 教師が、自分の弱み、短所かもしれないことを子どもに話すのは、とても大切です。先生も、悩むことのある存在であることを、生徒は知る必要があるのです。それができる教師は、今問題となっている「体罰に名をかりた暴力教師」にはなりません。

 一大決心をした教師は、子どもたちに自分の吃音の悩みを話しました。そして、無事に卒業式を終えて、涙ながらに夫婦で喜びの電話をかけてきたのです。

 教師として、これだけ大きな、すごい経験をしながら、その体験をおぼろげに、部分的にしか覚えていないことに、ある意味衝撃を受けました。
 人間の記憶とはこのようなものなのでしょうか。私がなせ、克明に覚えているのでしょう。私はたくさんの相談を受けます。30分ほど真剣に話を聞いて、1週間後、その人から経過の電話をいただいても、忘れていることが少なくありません。忘れています。記憶は、強化するから覚えていられるのです。

 この教師の体験は、私にとって強烈だったので、講演や講義など、それに関連して必要だと思ったときには話をします。繰り返し語る中で、それはひとつの物語になり、私に定着します。

 彼は、私以上に強烈な印象の体験であったことにはちがいありません。彼に、これはとても貴重な体験だから、悩んで僕に電話をかけてきたところから、最後無事に卒業式が終わったまでの体験を、文章にして欲しいとお願いしました。私たちにも、彼にとっても必要だとおもったからです。

 しかし、彼は文章を書きませんでした。語りをやめました。体験が体験としてみにつかなかったのです。
 私は自分が吃音に悩み、そこからどう解放されてきたかを「吃音者宣言」文を起草し、多くの仲間と、どもる人のセルフヘルプグループ・言友会の創立10周年の大会で採択しました。

 もし、私の体験、多くの人の体験を文章にしなかったら、仲間がいて「語り」継いでいかなかったら、せっかくの体験は、雲散霧消してしまっていたでしょう。私は落ち込んだり、気持ちがぐらついたりしたとき、「吃音者宣言」を読み返すことができる。常に、クリアーに原点に立ち戻れる。そういうものがほしかったのです。

 彼の貴重な体験は、周りの人に「語り」「文章にする」ことをしなかったために、身につかなかったということでしょうか。7年ぶりに彼と会いました。私が他人事ながらしっかり覚えているのに、当人は断片的にしか覚えていない。大切な、肝心なことは覚えていない。これは私にとって、驚きであると共に、貴重な体験でした。
 それを、このようにブログで文章にできたことで、記憶は強化されました。

 ナラティヴ・アプローチは、新しく気づけた、変わったこと、自分の体験したことを周りの人に報告します。「語り」ます。また、文章にすることもすすめます。宣言文のようなものを書くこともあります。

 こうして、常に語り続けること、書き続けることで、新しい発見、気づき、新しい体験、新しい価値観、新しい考えは自らのものになっていくのでしょう。

 改めて、最近勉強をはじめた、ナラティヴ・アプローチの意義を感じさせてくれた彼でした。
 きっと彼は、このブログを読んでくれていると思います。今回の吃音ワークショツプで気づいたこと、確認したことなど文章にして欲しいと願います。

 大阪スタタリングプロジェクトが、「ことば文学賞」をつくり、書き続ける文化をもっているのは、あらためて、すごいことなのだと思いました。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/01/21