一鶴さん、ありがとう
旗はうねうね川風にひらめき渡る、時は元暦元年正月の二十日、春立つ日陰の習いとて細谷川の氷も解け、水かさまさるといえども減ずる事のあるべからず、
木曾義仲と源義経の宇治川の合戦記、「宇治川の先陣争い」の講談の修羅場。一音一音をぐいぐい押していく勢いのあるリズムは、今でも私のからだの中に生き続けています
40年以上も前に覚えたものが、いまだに忘れることなく口をついて出てくるところをみると、当時はかなり一所懸命打ち込んだのだと思います。講談にこの修羅場の他に、世話物があります。私はどちらかというと、修羅場よりも世話物が好きでした。
次郎長の外伝から、「庄太と安」を伺います。明治三年のなかば、駿府の在栃山におりました貸し元で栃山の小次郎、やくざに強く堅気に弱いという真の侠客、街道一の親分清水の次郎長とは飲みわけの兄弟分・・・・
1966年4月の言友会の発会式、着物を着て、この講談をしたことをとてもよく覚えています。
私の話しことばは、子どもの頃からずっと父親に教えられていた「謡曲」と、一鶴さんから教えられた「講談」が基本にあるようです。
昨年末の12月22日、講談の先生、田辺一鶴さんが、80歳でお亡くなりになりました。時々、当時の事を思い出して、久しぶりにお会いしたいなあとずっと思っていたので、20年以上もお会いしなかったことが残念でなりません。新聞などで拝見するかぎり、まだまだお元気だと安心していました。やはり、会っておくべきでした。
1965年9月30日、「講談のリズムでどもりを治そう」の記事が報知新聞に大きく掲載されました。一鶴さんが、講談のリズムを身につけることで、吃音が治ったと紹介されていたために、大勢の吃る人が集まっていました。
もし、一鶴さんが、この「吃音講談教室」を開いて下さらなかったら、田辺一鶴、丹野裕文、伊藤伸二の3人が出会うことはぜったいになかったでしょう。そして、吃る人のセルフヘルプグループ言友会が誕生し、発展していくことはなかっただろうと思います。
一鶴さんとの運命的な出会いを、今まだ、現役でNPO法人、大阪スタタリングプロジェクトで、セルフヘルプグループの活動を続けている私は、とてもありがたいと思っています。おそらく、セルフヘルプグループをつくることもなかったでしょう。一鶴さん、丹野さん、そして伊藤の三人の誰人の欠けても、言友会は誕生していなかったと思います。
講談には、平家物語などの軍記をそのまま実況放送のように伝え、ぐいぐいと勢いよく読んでいく「修羅場」と、人情話の「世話物」がありますが、「修羅場」は、どんなに早く、一気に読んでも、一音一音母音を押しながら読むために、聞き手には、日本語のリズムと美しさとともに、戦場が再現されているような臨場感があります。民間吃音矯正所の「ゆっくり言う」発音練習とは、正反対のスピート感のある語りは、とても魅力でした。 矯正所では、「ゆっくり」話せずに、劣等生だった私にとっては、このスピートは魅力的でした。水を得た魚のように、講談に打ち込んだ記憶があります。
当時NHKの人気番組「お笑い三人組 」で人気があり、後に国会議員になった一龍斎貞鳳さん、講談の大御所の神田山陽さんなどから、直接講談の指導を受ける贅沢な時間が、うれしくてたまりませんでした。講談の文章も全部覚え、扇子をたたいて、修羅場を演じた。そりが40年以上たってもからだの中に入っているのです。
どもりを治すために講談の世界に入った一鶴さんは、様々な苦労の末に、講談界では欠かせない人になりました。一時は、「ヒゲの一鶴」を知らない人がいないくらい、華々しく活躍されました。何かのコマーシャルにも出ていたのをかすかに覚えています。講談で大成功としたのですが、決して、吃音を治すために講談の世界に入った初心を忘れることはありませんでした。吃る人への限りない愛情を注いだ人でした。
1993年には、「吃音を治してしんぜよう」と、「講談復興」と「吃音矯正」を目的として、「講談大学」を設立し多くの人を育てました。吃る人のために役に立ちたいという思いを、生涯持ち続けた人でした。「治してあげよう」と言いながら、一鶴さんの吃音が実際には治ったわけではありません。講談ではほとんど吃らなかったのは事実ですが、私たちと喫茶店などて話しているときは、吃っていました。
20年くらい前でしょうか、大阪難波の歌舞伎座に出演されていたとき、楽屋を尋ねたことがあります。突然だったのに、嬉しそうに私を迎えてくれました。
「タ行やカ行が言えなかったのが言えるようになったら、今度は別の音が言えないんだ。その時は、扇子の代わりに手で舞台をたたくと、なんとか声が出る。吃音の随伴症状を、お客さんは、吃るからだとは思わないで、一鶴の独特の話し方だと喜んでくれる。吃音の随伴症状を商売にしているのは僕くらいだね」
笑いながら、吃りながらこの話をしてくれました。
仕事としての「謡曲」では吃らず、普段はよく吃っていた父親とだぶって、一鶴さんをとても身近に感じていました。ご自宅に遊びにいったことも思い出です。
言友会創立のきっかけを作って下さり、また、私のことばに「講談」を注入して下さり、ありがとうございました。ご冥福お祈りします。 (2010年1月記)
2010年4月15日 日本吃音臨床研究会 代表 伊藤伸二