グループの力


 2009年5月30・31日と、新潟県長岡市で、日本コミュニケーション学会がありました。私は、日本音声医学会、日本特殊教育学会、人間性心理学会などで、発表や、自主シンポジウムなどてよく発表してきました。数年前から、思うところがあって、全ての学会に出なくなりました。もちろん発表もしなくなりました。

 ところが、日本コミュニケーション学会の新潟大会事務局から、今回、「グループの力」と題したシンポジウムをしたいから、シンポジストとして出ないかというお誘いがありました。全ての学会活動から手を引くと、一部の人には公表していましたし、そのつもりでしたので、一瞬迷いました。しかし、一対一の個別指導が原則の、スピーチセラピーの言語聴覚士の集まる学会で、「グループの力」とは、とてもありがたいテーマです。一度、学会にはもう行かないと決心したのでしたが、今回は特別だと、受けることにしました。

 久しぶりの学会に、いろいろと学びや感じることがあり、このブログに書くつもりでいたのてすが、どんどん日が流れれて、チャンスを失っていました。今回、ひとつのチャンスがありました。
 学会誌にシンポジウムの報告が掲載されますので、その原稿を書かなくてはいけません。10月末日がしめきりでしたが、仕事に追われて書けずに、今日まで待っていただきました。そして、ようやく、さきほどメールで送りました。

 その仕事の中で、メールの整理をしていましたら、学会予稿集の原稿がでてきました。この際だから、新潟での学会の報告を、予稿集の原稿を読んでいただくことで、一応の報告をしようと思いました。
 機会があれば、新潟の報告はしたいとは思ってはいますが。

 以下、実際の発表とは内容はちがいますが。予稿集に掲載された原稿です。


  吃音親子サマーキャンプにみるグループの力 

 アメリカの言語病理学における吃音へのアプローチは、「吃らずに流暢に話す派」と「軽く、楽に流暢に吃る派」の長年の激しい対立を経て、近年「統合的アプローチ」が提案された。流暢性促進のその技法は、1903年の伊沢修二の落石社に端を発する日本の伝統的な発声・発語訓練とほとんど変わらない。100年以上、吃音臨床研究が世界規模で続けられながら、原因が未だに解明できず、有効な科学的治療法は確立されていない。その現状から、吃音を治すことにこだわらず、吃音と上手につきあうための学習や訓練を考えることが、現実的な対応だと言える。しかし、それはひとりでは難しく、臨床家の援助や、同じような悩みをもつ当事者のグループの力が必要になってくる。
 筆者は、1965年吃る人のセルフヘルプグループを設立して以来、吃音とつきあう方策を探り、実践を積み上げてきた。グループの中で、同じように悩む人と出会って、自分の体験を語り、他者の体験に耳を傾けた。吃るからできないと思っていたことが、仲間と共に行動する中で、できるようになった。グループの中で得たものは、私はひとりではない、私は私のままでいい、私には力がある、の3つのメッセージだ。
 最近、吃音が原因で学校に行けなくなったり、就職したが、厳しい現実の生活の中で仕事場に行けなくなった事例が増えてきた。学齢期から思春期にかけて、吃音と直面せずにきた子どもは、吃音の悩みや苦しみを語り、真剣に聞いてもらう経験がなく、自分だけが悩んでいると思っている。吃音とつきあうためには、同じように悩む子どもや大人と出会い、吃音に向き合う必要がある。吃音から大きなマイナスの影響を受けずに、吃音と共に生きる力を育てるために、小学校1年生から高校生までを対象にした2泊3日の吃音親子サマーキャンプを、1990年から開催し、今年で20年になる。150名ほどが参加する。
 キャンプは、ゝ媛擦砲弔い討力辰傾腓ぁ↓△海箸个離譽奪好鵑箸靴討侶爐領習と上演 子どもを支援するための親の学習会、この三つを柱にしている。
 吃る当事者と、臨床家が話し合いに加わることで、子どもたちは吃音について実によく話す。音読や発表を苦手としていた子どもたちと演劇に取り組むことで、吃りながら表現する喜びや楽しさを味わう。また、大人の具体的なモデルを身近に見ることで、将来、吃音が治らずとも、自分なりの人生を歩んでいけることを実感する。現実の生活の中でも、吃る事実を認め、吃音を隠したり、話すことから逃げることが減少し、学校でいじめやからかいにあっても、アサーティブに対応することができる子どもが育っている。様々な活動と、人との出会いを通して、吃る子どもたちは、自己肯定、他者信頼、他者貢献の感覚を身につけ、それが共同体感覚を育成することにつながっている。

  2009年11月17日  日本吃音臨床研究会 伊藤伸二