5月27日、ソーシャルワーク演習

 私はある大学で、ソーシャルワーク演習を担当しています。一日3時間を14回ほどしなければなりません。毎週一度大学に通っています。
 どうして私がソーシャルワーク演習を担当しているのか不思議ですね。この演習を依頼されたときこう考えて引き受けました。私は福祉施設に勤めたことはないし、ソーシヤルワークについて何も知りません。ただ、自分の吃音と向き合い、自己否定の固まりだったのが、自分を肯定し、とても楽に生きられるようになつた経験はある。その体験をカウンセリングなどの知識や技法で跡づけすることはできる。私が勉強してきたそれらのものを伝えることができるとは考えたのです。
 「伊藤さんのやりたいようにすればいいです」という、依頼者のことばに、引き受けたのでした。そして、毎年学生とつきあってきたのですが、受講した多くの学生が、「自分に気づき、他者の理解に役に立ち、おもしろかつた。この演習を受講してよかった」と言ってくれました。私のやり方でいいのだと思っていました。
 ソーシヤルワークの直接的な、具体的なスキルを身につけることも大切だが、まず人間としてどう自分に向き合い、対等の立場で相手に接する、人間としてのあり方が大切だと私はずっと考えてきました。だから、言語聴覚士の専門学校でも、指導技術などの話よりも、専門家として、臨床家して、どうあるべきかを語り、話し合ってきました。専門学校という、即役立つものを求める学生も、興味をもって聞いてくれて、私が吃音の担当でよかったと言ってくれていますので、これでいいのだと思ってきました。このスタンスは自分では間違っているとは思いませんし、このスタイルでしか私は講義ができません。
 専門家である前に、ひとりの人間として自分をどう育てるか、治療ではなく、その人が生きやすくなるためにどんな支援ができるかについて、「育てるカウンセリング」について14回のプログラムを組んで取り組んできました。
 しかし、中には「ソーシャルワーク演習」と名が付くからには、直接的なソーシャルワークのスキルを身につけたいと考える人もいます。つまり、実際の事例を検討し、みんなで、どのような対応がいいのか話し合うという、イメージをもっているのでしよう。事実、私以外の教官はそのような演習をしているようです。もちろん、それもとても重要な演習のありかただと思いますが、私にはそのような事例がありません。そのような授業はできないのです。そのようなイメージをもって、私の演習を受けた人にとっては、満足出来ない演習なのでしょうね。その学生の期待には応えられないのは、申し訳ないことなのですが、できないことはできないので、「ごめんなさい」という言う他はありません。でも、中には、この演習がとても楽しくて、ためになりますといつも振り返りに書いて下さる学生もいるので、それに支えられて、自分の「ソーシャルワーク演習」をするしかありません。また、こんな演習をする人間が一人くらいいてもいと私は考えているのです。

 今日で5日目、これまでは、効果的なコミュニケーションの5つの要素、ハンディキャップの箱、障害とはなにか、氷山説、エリクソンのライフサイクル論にそって、ヘレンケラーがいかにサリバンに教育されたかなどを演習方式で話してきました。
 交流分析のエゴグラムを使っての自己変革、やりとり分析、人生脚本が終わりました。
 今日はセルフヘルプグループについて話しました。ひとりの学生がセルフヘルプグループを卒論のテーマにするので、その学生にセルフヘルプグループについて、まず話してもらいました。その発表に添って、セルフヘルプグループの成り立ちや、特徴、機能、匿名性と、非匿名性のグループの違いなど、学生に考えてもらいながらすすめました。
 私の講義のスタイルは、ほとんど私が話す前に、学生がどう考えているか、想像しているか指名します。もちろん、パスありですが、みんなとてもよく考え、自分が思いついたことを発言してくれます。
 セルフヘルプグループの機能として「同じような経験をしてきた人からアドバイスを受けることができる」という発言から、「あなたがアドバイスをされたら、どうか」について一人一人にきいていくと、とてもおもしろい発言かがありました。
 「自分が発言した、アドバイスについて、意見を交換しあうとは思ってもみなかったので、少し驚きました。何事にも共通することですが、メリットのみではなく、デメリットについても考えることが大切だなあと感じました」
 と振り返りに書いてくれた学生がいました。
 あと、NHKの「週刊ボランティア」を見て感想を言ってもらいました。
 こんなように、私の「ソーシャルワーク演習」はすすんでいきます。