世界の吃る人のグループとの違い

 セミナーが開かれる前に、セルフヘルプグループを支援する、支援センターの関係者だけの集まりがありました。栃木、埼玉、宮崎そして大阪です。ここには参加されませんでしたが、沖縄からもセミナーには参加されました。遠くから、セルフヘルプグループに関心をもつ仲間が集まることは、ありがたくうれしいことでした。
 一人一人が自己紹介を兼ねて現状の報告をしたのでずか、私は最近はあまり大阪セルフヘルプ支援センターの活動にはかかわっていないので、報告がありません。そこで、自分のセルフヘルプグループ以外に、このようなセルフヘルプグループの活動を支援する活動にかかわってよかったことを少し話しました。前回書いたような、本の出版やテレビ出演できたことを話しましたが、もうひとつこんなことも話しました。
 今私は国際吃音連盟の顧問理事をしています。1986年私が大会会長にとして、第一回の世界大会を京都で開催し、それから3年ごとに開催されているものです。長年役員をしていますが、セルフヘルプグループについての考え方の違いに驚きます。簡単に言ってしまうと、世界のグループは、依然として「治療」にこだわっています。そのような派があるかどうかは分かりませんが、「治療派」がほとんどです。セルフヘルプグループの本来の役割は、治らないもの、治せないもの、なかなか癒されない問題について、それに向き合い、それとつきあうために、経験や智恵を分かち合うものたど考えてきました。だから私は、1973年ごろから、「治す努力否定」の問題提起をしつづけてきたのでした。その私の考えは、大阪セルフヘルプ支援センターの月例会や合宿、セミナーで確認し、確信をもつようになりました。
 支援センターに集まるグループは、アルコール依存症や統合失調症のグループなど、「治らない」人たちばかりでした。また、性虐待を受けた女性の心の深い傷は、決して治るというものではありません。治らないものにどう向き合うかというレベルの人たちと交流し、学んできた私にとって、世界の「治る・治すべきだ」との主張にはまったく同意ができないのです。100年以上吃音臨床が世界で続けられながら、これという治療法がなく、現実に治っていないことを考えれば、他のセルフヘルプグループと同じように、「治らないもの」と考える必要があるのです。世界のグループは、治らない現実の中では「吃音受容」ということはいいます。また、社会は吃音を認め、吃る人を理解し受け入れるべきだといいます。そういう当事者が自分の吃音を否定し、「治したい」というのは矛盾しています。自分自身が吃音をあってはならないものとして、否定しているのです。治療を求めることは、自らの吃音を否定していることになることに気づかないのです。
 多分、吃る人の世界のセルフヘルプグループのほとんどは、他の違う障害や病気、困難な問題を抱える人々、セルフヘルプグループとのつきあいがないのだろうと思います。その点私たちは、大阪セルフヘルプグ支援センターの活動を続けていることで、治そうとすることが、吃音を自分を否定していることになることに気づいています。これは本当にありがたいことです。
 今回のセミナーにも、NPO法人大阪スタタリングプロジェクトの仲間が15名ほど参加しました。
 吃音という、自分の問題以外の問題に関心をもち、学ぶことによって、自分自身の問題もみえてくるのだと思います。
                 2009年2月20日