昨年の吃音にかかわる活動を、遅ればせながら報告をしていますが、今回は、2017年10月21・22日に開催された第19回島根スタタリングフォーラムについて報告します。 

 島根スタタリングフォーラムは、以前、ニュースレター『スタタリング・ナウ』で、「吃音キャンプの老舗の味」と書いたことがありますが、本当に長く続いています。中心となる担当者が引き継いでくれていること、ありがたく思います。
 いつも、島根には、前日入りします。今回も、10月20日金曜日の夕方、広島まで新幹線で行き、そこに、現在の事務局の森川さんが迎えに来てくれています。広島から約2時間、車中でいろいろな話をします。
 翌日からフォーラムが始まります。午前中は出会いの広場があって、午後は、どもる子ども、親、スタッフの教師など参加者全員の前で、自己紹介をした後、質問があればして下さいと話しました。すぐに中学生男子の手がさっと挙がりました。

中学生男子 中学校の頃はどんなでしたか。
伊藤 中学校のころは、みじめだった。小学校より中学校の方が苦しかったように思う。卓球部に入っていたので少し救われた部分はあったけれどもね。
男子 僕も、卓球部です。
伊藤 そうか、君も卓球部か。卓球をしているときだけは、元気だったように思います。3年間、卓球をがんばって、卓球をしているときだけが、ほっとする場だった。
 中学校2年生の英語の時間、研究授業か授業参観かがあって、リーディングが当たって読んだ。でも、どもって、読めなかった。先生が「おまえは筆記試験はいいのに、練習してこなかっただろう。今日は、先生がたくさん見に来るからちゃんと練習してこいと言ったのに」と怒られた。悔しかった。授業が終わってから、英語の先生のところに行って、「僕は練習してこなかったわけではない。僕はどもるから、リーディングができなかったんです」と言った。その先生は、「ああ、分かった、分かった、分かった」と軽くあしらわれて、すごく悔しかった。それで、英語が嫌いになった。あの先生がいなかったら、もっと英語ができていたかもしれないのにね。
 もうひとつ、悔しいことがあった。高校に入学して、やっぱり卓球部に入った。君も、当然、また卓球に入るよね。違うものをする?
男子 どうでしょう。
伊藤 そうか。僕は、入学式のとき、「かわいい子だなあ」と思っていた子が、卓球部に入っていて、ラッキーだ、これからの高校生活は楽しいぞと思った。普通は、男子コートと女子コートは別々で練習していたから、よかったんだけど、何週間か経って、男女合同の合宿があると言われた時、すぐに、「合宿だと自己紹介がある、彼女の前でどもりたくない」と思った。
男子 じゃ、紙に名前を書いて、私は何々ですと言ったらよかった。
伊藤 そうだよね。君の言うように、紙に書いてもよかった。また、その合宿だけ、体の具合が悪いからといって、休めばよかった。いろいろ考えられたかもしれないのに、もう、だめだと思って、結局、「自己紹介が嫌だ」という理由だけで、好きだった卓球部を辞めてしまった。
男子 ああ。
伊藤 あほみたいやろ。
男子 ですね。
伊藤 ですね、か。そうだよね。あれだけ好きだった卓球を、自己紹介でどもるからといって辞めないといけないのか。それから、僕は「逃げるくせ」がついてしまった。何かちょっとでも、困難なことがあると、「どうせ僕なんか、どもりだからできない」と、思ってしまって、逃げまくった。どもりを隠し、話すことから逃げて、つらかった。そんな中学校、高校生活でした。全然楽しい思い出はない。
男子 大学は?
伊藤 大学は楽しかったね。どもりを治そうと思って、1年生のときにどもりを治す学校に行った。1ヶ月間、どもりを治す練習をした。その練習はすごかったよ。上野の西郷さんの銅像の前や、山手線の電車の中で、演説をした。ラッシュアワーだったら怒られるけれど、お昼頃ならいいので、池袋駅から入って目白駅までの一駅分の1分間の原稿を用意して「皆さん、突然大きな声を張り上げまして失礼ですが、僕のどもりを治すためのスピーチを聞いて下さい」と言って、毎日毎日演説していた。今から思うと、よくやったと思う。池袋駅から演説を始めて、「ありがとうございました」と言って、目白駅で降りる予定だったけれど、調子が悪いときはそうはいかず、ドアが閉まってしまう。次の駅までの1駅、乗客のみんなの、冷たい哀れみのような視線がとても嫌だった。
 そうして、1ヶ月がんばったけれど、僕のどもりは治らなかったんだ。
 でも、みんながこの島根吃音フォーラムに来て、どもるのは自分だけじゃないということが分かってうれしかった、というのと同じで、どもるのは自分ひとりではないと知ってよかった。もうひとつ、よかったのは、どもていたら仕事ができないんじゃないかと思っていたが、そこに来ている人たちは、みんな、田舎に帰ったら、お坊さんだったり、学校の先生だったり、農業をしていたり、商店を経営していたり、いろんな仕事をしていた。あのときはびっくりしたね。どもっていたら、大学を卒業しても、仕事に就けないと思っていたけど、この人たちは、悩んでいるから、どもりを治そうとここに来たけれども、帰ったらちゃんと仕事を持って生きている。これを知ったことは、ものすごく大きな勇気になった。
 今までは、どもりが治ったら友だちもできるし、どもりが治ったら勉強もする、とどもりが治ったらとばかり思っていた。でも、1か月必死でがんばっても、どもりが治らなかったから、このままで、どもりながらでも、自分のしたいこと、しなければならないことをしようと、覚悟を決めた。その瞬間から、僕の人生は全く変わったね。
 あれだけ、自己紹介が嫌で卓球部を辞めたり、音読や、発表、クラブに入って友達をつくることからも逃げ回っていた人生から、何でも挑戦するという人生に変わった。その時21歳で、今73歳ですが、本当に幸せに生きています。こんなに幸せでいいのかなと毎日毎日思う。あれだけ苦しかった21歳までの生活に耐えたご褒美かなと思うくらい。
 何年か前に、中学校の同窓会があった。本当は同窓会なんか行きたくなかったんだけど、僕が書いた『新・吃音者宣言』という本の書評が週刊誌に大きく載って、その書評をコピーしてみんなに配ってくれた人がいた。そして、伊藤を同窓会に呼ぼうという話になって、強く誘われたので、これは行くしかないと思って行ったんだ。僕を呼んでくれた同窓会の幹事が特別に僕にだけあいさつをさせてくれて、「みんなは、僕のことなんて覚えていないと思うけど、友だちがひとりもいなくて、本当にしんどい中学生時代を送りました」と話した。
 そしたら、「伊藤、お前と一緒にお伊勢さんに自転車で行ったじゃない」とか、一緒にこんなことをしたじゃないかということを話してくれた。僕にはそんな記憶が全くない。寂しくて寂しくて、ひとりぼちで生きてきたという記憶しかなかった。本当はそうじゃなかったみたいでした。女の子も何人か声をかけてくれた。「私、伊藤さんのこと好きだったんたけど、なんか声はかけられなかった。声をかければよかったね」と言ってくれた。
 そんな話を聞いて、僕は、ひとりぼっちで生きてきて、どうしようもない人生だと思っていたけれど、周りは、ちゃんと認めてくれていたんだなと思った。だから、週刊誌に書評が載ったときに、それをコピーしてくれて、配ってくれた、同窓会の幹事にすごく感謝しています。ひとりぼっちだと思っていたけれども、ひとりぼっちではなかったんだね。
 そんな中学校、高校時代を送り、大学生活は、どもりを認めて、どもりながら逃げずに生きていたから、楽しかった。この前、大学の同窓会があって、80人のうち半数ぐらいが参加した。僕は、地位も名誉もお金もないけれど、「どもりの人生を楽しく生きた」という誇りはあるので、堂々と参加できた。全員が70歳を過ぎているわけで、みんな、毎日、釣り、ゴルフばかりしているという人が多い。その中で、僕は、どもる子どもたちとのキャンプ、講演、世界大会など、社会的な活動をしていて、みんなにうらやましがられた。小学2年生から21歳まで、どもりでとても苦しんできた分、悩んできた分、今、褒美のようなありがたい生活をしています。どもりでよかったと思っている。
 
 中学生が、興味をもっていろいろと質問をしてくれたおかげで、その中学生に話すつもりでいろいろと話すことができました。興味、関心をもって質問をしてくれると、いろいろと思い出して、話すものです。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2018/01/21