自分の言葉で吃音について説明することが大切

 僕は、滋賀県で行われている吃音親子サマーキャンプ以外にも、他の県で行われているキャンプにも毎年参加しています。その吃音キャンプに小学生の5年生から参加している女の子の話です。
 僕は、何回か彼女の話し合いのグループに参加していて、彼女の発言がどんどん変化していき、成長していく姿を、とてもたくましく思っていました。
 最初出会った時は、親が、学年が変わるたびに、彼女の吃音について担任教師に説明に行くと話したので、それは、彼女の生きる力を奪うことになるからやめた方がいいと提案しました。本人がどうしてもそうしてほしいと言ってきたとしても、安易にすべきではないことですが、母親は、子どもに頼まれてもいないのに、担任に吃音を説明に行っていました。そうすることが、彼女のためになると信じて、学年が変わるたびに自動的に行っていたのです。
 彼女はキャンプでの話し合いの時も積極的で、しっかり物事を考えられます。キャンプで「吃音としっかり向き合った」ことを契機に、全校的な集まりの世話人や、クラス代表、地域の子供会などでも積極的に行動できるようになり、心配していた中学校も「楽しくて楽しくて」とうれしそうに話していました。自分で考え、積極的に行動する彼女に、僕は吃音については、今後どんなことが起こっても対処できるだろうと確信をもっていました。
 本人は、どんどん成長していっているのに、周りの大人がその彼女の力を信じて、待つことができず、情けなくなることが起りました。

 彼女の地域の教育委員会は、高校受験の時にことばの教室などに通った経験のある生徒を対象に、「吃音」の診断書を出すように、中学3年生の担任に求めてきました。他の県ではそのような話は聞いたことはないのですが、本当にびっくりしました。「合理的配慮」が言われるようになった流れからでしょうか。親も、以前通っていたことばの教室の教師も、何の疑問ももたずに、それではと、僕の知り合いの言語聴覚士に、吃音の診断書を書いてくれるところを教えて欲しい言ってきました。
 僕は、その言語聴覚士から、診断書のことをどう考えればいいかと相談を受けました。高校受験をする彼女のことは言語聴覚士も僕も吃音キャンプを通してよく知っているので、まず、彼女自身はどう考えているかが気になりました。
 そこで、次のような僕の考えを、その言語聴覚士に伝えました。

 『高校受験の面接で、面接官の質問に、いくらどもっても、誠実に答えればいい。さらに必要なら、受験する高校で何を学びたいか、何に興味があり、何に取り組みたいかなど、今後どう「生きたいか」を話せばいいことで、自分の考えを伝えることができれば、吃音が理由で不利になることはあり得ない。教育委員会がどういう意図で診断書を出せというのか、それも聞いてみればいい。もし、どもることで不利にならないようにとの配慮なら、彼女だったら、診断書を出して配慮を求めるより、面接の時に、たとえば名前が出ないとき、面接官が質問をしてきたら、「私はどもるんです」と説明することができるだろう。吃音キャンプでこの何年かの成長からすれば、診断書を欲しいと思うとは僕には思えない。彼女には自分で説明する力が十分にあるから、診断書を書いてもらう必要はない。高校受験のために吃音の診断書を書く医師を僕は知らない。仮に、診断書が出て、高校に合格した場合、あの診断書のおかげで合格したと考えてしまうかもしれない。そんな、もったいないことはないと思う。これからの人生、診断書などに頼らずに、説明が必要な時には、自分のことばで、自分の吃音について周りの人に伝える力をもってほしい』

 このような内容のことを知人の言語聴覚士に伝えたことが、その後どう展開していったかは詳しく報告を受けていませんので、僕の話がどのように彼女本人に伝わったのか知りませんが、結局彼女は診断書を求めることをせず、高校を受験し、合格しました。明るく、前向きな彼女のことですから、楽しく高校生活を送っていることでしょう。
 
 教育委員会が「吃音の診断」を求めるとは、どういうことなのでしょうか。おそらく、厚生労働省が、吃音を発達障害の中のひとつに入れてしまったことによるものかもしれません。吃音は発達障害ではないし、病気でも、障害でもないと僕は考えています。
 「医学モデルが人の可能性を狭める危険性もある。病気や障害と診断されたために、周囲も本人も期待することをやめ、負荷や葛藤が減り、安定した生活が送れる人がいる一方で、仕方ないと、将来の可能性をあきらめてしまう」
 発達障害の臨床に携わる精神科医の岡田尊司さんが指摘しています。吃音もそうならないようにと願うばかりです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/4