どもる人が吃音親子サマーキャンプに参加する意義

    第28回吃音親子サマーキャンプ 打ち上げ会で
 9月16日、午後5時より、今年のサマーキャンプの打ち上げ会を行いました。
 関東地方のスタッフから、「参加したいけれど…」という声はありますが、さすがに新学期が始まって約2週間で、大阪に出てくることは難しいでしょう。大阪スタタリングプロジェクトのメンバーを中心に、神戸からのスタッフも交えて、サマーキャンプを振り返りました。
 台風が接近しているという状況の中でしたが、3時間30分という長い時間が、短く感じられる楽しいひとときでした。
 サマーキャンプで稽古して上演するための芝居のための合宿から始まる吃音親子サマーキャンプは、この打ち上げで終了します。来年のキャンプが今から楽しみになる時間です。
 参加者は、11名でした。

 それぞれのスピーチは、参加していた子どもの動向が中心です。プログラムの中で起こったさまざまなできごと、初参加の人たちの変化の様子など、多岐に亘り、サマーキャンプの再現フィルムを見ているような時間でした。みんな、子どもたちや親のことをよく見ているなといつも感心します。
 結局は、人への関心、興味、愛情のある人たちだから、このようなキャンプが毎年開けるのだと思います。全体を振り返って、小見出しをつけてみました。

どもる当事者がサマーキャンプに参加する意義

◇今回は、ビデオ撮影をしたおかげで、親の学習会に参加し、兵頭雅貴君の話を聞くことができた。伊藤さんからも兵頭君の話は聞いていたが、それとはちょっとニュアンスが違っていた。雅貴君が苦労したのは、どもることからくるものではなく、周りがとてもよくしてくれているのに、それに応えることができない自分が悔しいというものだった。周りはみんない人だった。「こんなにどもっていて、地域住民の命が守れるのか」と言った教官も、雅貴君のことを思ってのことばだった。消防学校の人たちは、みんないい人だったからこそ、辛かったという話だった。伊藤さんのインタビューに、雅貴君は質問にしっかり受け答えしていた。自分を語ることができる力がある。そしてまた、吃音を克服しましたという話ではなく、今も、どもることに苦労しながら、苦しみながら、それでもがんばっているという話がよかった。周りの人から自分にかけられたことばをよく覚えていて感心したが、それは、かけられたことばを自分に刻み込んでいるのだろう。インタビューによって、質問されることによって、引き出される物語がある。どもる当事者が、親の話し合いのグループに入り、体験を話すことがよくあるが、自分を語る力を持っておかないといけない。どもる当事者がキャンプに参加する意義のようなものについて考えてみたい。

◇去年11月に、沖縄のキャンプにスタッフとして参加した。この滋賀のキャンプは、スタッフとしては初めて。参加者としては20年前に高校性の時に参加している。私が参加していた頃とは違って、参加人数は多いし、プログラムもきっちりしていた。
 このキャンプに参加しようと決めたときから、家族の中では、いろいろな話し合いがあっただろうと思うと、初めのプログラムの出会いの広場で、もう胸がいっぱいになった。話し合いの時間が印象的で、自分自身のことをふりかえることができた。話し合いのとき、参加している親から「子どものころ、どうだった?」と聞かれた。どこまで話したらいいのか、とまどった。私の体験は私だけのものであり、ほかの人とは違うだろう。私が、どもる人を代表しているわけではないし、私が話すことによって、参加している親にその話がどう影響するだろうかと思うと、ちょっととまどいも感じた。どもることで、いいこともあったし、嫌なこともあったし、今もある。とまどいながらも、話せることは話した。

◇サマーキャンプには、ことばの教室の先生、言語聴覚士、当事者など、いろんな立場の人が参加する。私たちどもる当事者にできることは、自分の経験を語り、それを聞いた親たちが、将来の見通しを持てることだと思う。それは、私たちにしかできないことだ。吃音で苦労するネガティヴな話で終わったら、親は不安になるだけだと思う。自分の話す内容については、聞き手である親を意識することが大事だと考えている。

◇自分のことばで自分のことを語るということがよく言われる。でも、自分が思ったこと、感じたこと、経験したことをそのまま話したらいいということではないと思う。このことを話したら、聞いている人はどう思うだろう。話そうとしていることは、この場にどう影響するだろう。そんなことを、瞬時に、俯瞰して、考えて、語っていくことが大事ではないだろうか。自分のつらかったこと、しんどかったこと、いじめられたことがすぐ頭に浮かび、その経験を話したら、聞いている親は、どう思うだろう。ネガティヴ・キャンペーンをしてはいけない。ネガティヴな経験はもちろんあっただろうが、そこから、どう解放され、どう立ち直ってきたか、どう立ち上がってきたか、そのために何が必要だったか、そんな話も同時にしていくことが大切ではないかと思う。だから、常に、自分の吃音にまつわる経験を、整理しておくことが大切になってくる。また、ちょっと立ち止まることは、どもりの人は有利だと思った。なぜなら、これまでも、このことを言おうと思っても、どもるかもしれないと思うと、瞬間、迷ったり、ことばを選んだりしている。ことばを思いつくと同時に、僕たちはこのことばはどもるかどうかを吟味する。立ち止まる。このことはネガティヴなこととしてとらえることではなく、むしろ、どもる僕たちの有利なこととしてとらえることができる。
 吃音親子サマーキャンプの話し合いでは、どもるかどうかではなく、これを保護者の話し合いの場で話していいかどうか、瞬間、立ち止まってみることが大切だと、僕は思う。オランダでの第10回世界大会で出会った、世界的な小説家、デイビッド・ミッチェルさんが、どもりたくないために言い換えてきたその技術のおかげで、語彙数が増え、小説家としてはよかったと言っていた。それと同じで、どもる人も、経験を語る前に少し立ち止まることは大切だ。

卒業式での4人の卒業生の話

◇卒業式での卒業生の4人の話は、大阪吃音教室に何年も参加している人が話すような内容のようだった。どもりながら、一言一言確認しながら話している。自分の中からでてきたものを素直に表現していた。かっこいいなあと思った。親の話し合いの中で、親からいろいろ当事者のスタッフに質問があって、一生懸命私たちは応えるけれど、あの卒業式での高校3年生の話が、親たちにとっては、一番薬になると思った。

◇初めて参加できてよかった。サマーキャンプに参加して人生が変わった、180度変わったと、参加した人から何度も聞いていた。大人の人生を変えるサマーキャンプってどんなのだろうと思っていたが、僕も同じで、180度変わった。卒業式で、卒業生4人ともが、自分たち以外にどもる子に会えてよかったと言っていた。僕も、サマーキャンプには参加していないが、大阪吃音教室で、自分以外のどもる人に会えてよかったと思っている。それと同じことを子どもたちが言っていて、涙が出そうだった。サマーキャンプは、どもる子どもにとって、大きな意義があるのだろう。子どもの頃にキャンプがあったらよかったと、なんか、うらやましかった。

◇親はなくても、子は育つというが、娘の卒業式でのあいさつは、親として誇らしい気持ちだった。人前で、あんなによくしゃべるとは思わなかった。彼女は、少ない友だちとじっくりつきあうタイプだと思っていたので、人前で堂々と話す姿にびっくりした。いざとなれば、雄弁なんだと思った。僕は、話している途中でふらふらと横にそれたり、聞いている人の反応で、話が変わっていってしまうが、彼女は最後まで本筋でしゃべっていた。

◇卒業式での4人の卒業生の話がよかった。4人とも、誰が言っても同じということではなく、今、生まれてくる自分の思いを、それにふさわしいことばを選んでしゃべっていた。紙に書いてあるものを読むみたいな、通り一遍の話ではない。どもらないよう、すらすらしゃべることを目指していないこのキャンプで、私たちが大切にしたいと思っていたことを、こんな子に育ってほしいと思っていたことを、見事にそこで表現してくれているという感じがした。まさに、卒業生にふさわしいスピーチだった。

◇確かに、4人の卒業生の話は見事だった。卒業式でのあいさつは、こうするんだよと教えたわけでもない。僕たちは、1年に一度、3日間だけ、このサマーキャンプという空間で、共に過ごしている。どもっていてもいいんだよ、ということを口に出しているわけでもない。ただ、僕たち自身が、自分の言いたいことを、どもっても伝えようとしているだけだ。どもりながら、楽しそうに芝居をする姿を見せているだけだ。それらが漢方薬のようにじわじわと効いているのだろうか。これまで見聞きした卒業式での卒業生の姿が、いい文化として根付いているのは間違いない。今年の卒業式でも、見守る周りの人たちはすてきだった。小さい子も、親のパフォーマンス、芝居の上演、それに続く卒業式・ふりかえりという2時間を超える長丁場をしっかり支えてくれている。その中での卒業式、やっぱりいいもんだなと思った。

サマーキャンプは、いろんな人を変える力がある

◇どもる当事者で初参加したスタッフは、最初はどんなふうに参加したらいいのか居心地が悪そうだった。そこで、スタッフどうしで話をした。自分の立ち位置がはっきりしたのか、だんだんと表情が変わっていった。翌日は、自分のことばで自分の経験を話していた。どもる自分ができることは何かを考え、どもる自分だからこそ言語聴覚士になろうと思ったと話していた。

◇事前レッスンから参加できてよかった。人前で演じることなんて苦手だったけれど、サマーキャンプの劇は気持ちよかった。周りからもよかったと言ってもらえた。そして、子どもたちが、どもりながら劇をするのを見て、いいなあと思った。どもる子どもがどもりながらがんばっている姿を見て、自分もがんばらないといけないなと思った。5月から7月頃にかけて、転職しようといろいろやっていたけれど、行き詰まって就職活動がストップしていた。でも、またがんばろうという気になった。子どもから、勇気をもらった。

◇事前レッスンのときから、せりふがだんだん変化していった。登場するだけで笑いが起こっていた。それは自分でも分かるだろう。いつもは、早口だけど、今のスピーチも聞き取りやすかった。

◇サマーキャンプに参加して、いろんな立場の人がよかったというけれど、スタッフも一緒で、もしかしたら一番得しているかもしれない。サマーキャンプは、いろんな人を変える力を持っているんだなと思う。子どもから勇気をもらったと、スタッフのひとりが言っていたが、確かに、子どもから、勇気をもらうことってあるなあと思う。僕は、今年の話し合いで、4年生の担当だった。4年生は、初参加の4人を含めて7人だったけれど、どの子も、それなりにどもる子が多かった。これだけどもっていて、それでも、この子たちは、毎日学校に行っている。それだけでも、この子たちは、すごいなとすなおに思う。

ひとりひとりが自分の持ち場を分かって、自主的に動いている

◇今年は、1時間前に自然の家に行って、準備の手伝いができた。少しは役に立てたかなと思う。できたら来年も続けたい。きょうだいグループは話し合いをしなかったけれど、最初にそう宣言する必要はなかったかもしれない。来年は、少しでも、きょうだいとして、どもりのことを話し合ってみたい。来年は挑戦してみたい。

◇今回は、初参加で、劇の時グループに入れなかった子どもにつきあった。そのために、劇を見ることができなかったけれど、今までも、こういうことがあったのだろうと思った。そして、きっと誰かが、こんなふうにかかわっていてくれたのだろう。今年は自分だったということだ。彼は、私との会話では、いろいろ学校のことを話してくれた。どもりだから、友だちもできなかったと言っていた。劇はちょっと彼に合わなかったようだが、話し合いは楽しかったと言っていた。ウォークラリーも楽しかったと言っていた。

◇一人ひとりが自分の持ち場というか、役割を分かっていて、動いていたなと。みんなが劇の練習をしているとき、一人のスタッフが、劇の練習に入れない子の対応をしている姿は、別のグループだけど、ちらちらと見えていた。関わってくれているんだなと分かった。そんなふうに、みんなが自分の持ち場を守っているから、28回もサマーキャンプが続いているのだろう。目立たないところで、お茶の補充をしてくれている人もいた。それらが見えるようになったのは、僕に少し余裕ができたからだと思う。サマーキャンプは僕にとって、特別の空間だ。どもりだったおかげで、どもる人のグループと出会い、サマーキャンプとも出会えた。世界が広がった気がする。

◇いろんな思いをもって、このサマーキャンプにみんな参加してくる。現在通っている学校で問題ありと言われてしんどい状況の人もいる。でも、このサマーキャンプでは、そんな、一見大変そうな子どものことを語るとき、重苦しい雰囲気ではなく、楽しそうにおもしろそうに、その子と自分のやりとりを、スタッフ会議で語る。そして、ほかのスタッフも、それを楽しそうに聞く。これはすごいことだと思う。子どもを見る目が違う。この空間の温かさ、やさしさ、幅の広さ、奥の深さは、何事にも代え難い。これは、スタッフ一人ひとりが、自分の役割を自覚して、動いていてくれるからだと思う。

よくできたプログラム

◇芝居のことを話したい。何回も参加しているベテランの子どもたちの演じ方がとても頼もしかった。そして、初参加の子どもたちの貢献が目立った。年上の子が、年下の子の世話を丁寧にしていた。長いせりふをちゃんと覚えてきていた高校生もいた。初参加なのに、芝居のことで、アイデアを出し、みんなの演技にちゃんと反応していた。そんなふうに、芝居の練習の時間がうまくまわり、楽しいものだった。

◇キャンプ全体の内容がバラエティに富んでいて、改めて良いプログラムだと思った。話し合い、作文、劇、ウォークラリー、全てに意欲的に取り組める子も中にはいるだろうが、全てではなく、何かひとつでも、どれかがぴたっときて、そこで、自分を表現できたらいいんじゃないかな。

◇親の話し合いで感じたのは、初参加の親は、これまで経験した自分のことしか話せない。しかし、キャンプに複数回参加すると、その経験を話すことができる。経験がストックされていくのは、語りを豊かなものにしてくれる。何回も参加していくことによって、年々変化していくのだと思う。

◇出会いの広場とてもがいい。時間を一緒に過ごしていく中で、じわじわと、参加者がすなおになっていく感じがする。

◇プログラムは、もう20年以上変わっていない。変えていないという方が正しいかもしれない。よく出来ていると思う。バラエティに富んでいるので、どの子にも、何かヒットするものがあるのだろう。

◇初参加の人と、短い時間でもいいから個別に話す時間をとった方がいいかなと思った。何かあった時に、さっと関わることができる。サマーキャンプのこの空間は、奇跡みたいで素晴らしい。でも、このキャンプのことを学会で発表したとき、ごく一部だけど、学者の反応はかなり冷たいものだった。でも、めげずに続けてきた。キャンプに参加した人たちが、少しでも変わってくれたらそれはありがたいことだ。基本は、僕たち自身が楽しい思えること。義務でしているのではなく、楽しいから続けている。そしてそれが結果として、誰かの役に立っていれば、とてもうれしいことだ。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2017/09/20