人前でしゃべりたかったです

 人間性心理学研究論文を紹介してきました。その中で紹介した大阪吃音教室は、あの論文を書いたときからもずいぶんと進化しています。変わらないのが、いつもの時間に、いつもの場所で吃音について真剣に考えている人たちが出会っているということです。
6.5  全景 2020年6月5日、金曜日、長年通い慣れた應典院から代わった、新しい会場、アネックスパル法円坂で、2020年度大阪吃音教室がスタートしました。
 セルフヘルプグループの例会活動の基本は、会い続けることです。それまで毎週顔を合わせていたのに、突然、2ヶ月も会うことができなくなりました。当たり前だった日常がなくなることの不安を多くの人が感じていたようです。久しぶりにいつものメンバーと再会し、お互いに無事を確認していたところに、突然、飛び入り参加の桂文福さんが入ってこられ、みんなびっくりでした。
 
 桂文福さんから電話があったのは、3日前でした。このブログでも紹介したように、文福さんから、「皆さん、コロナ、大変でしょうね。噺家も大変ですが、〈たぬき小屋から福もろ亭〉のYou Tubeを始めました」との連絡をいただいていました。「私たちも2020年度の開講式がまだで、6月5日の予定です」とお返事したのですが、それを覚えていて下さって、「6月5日、行ってもいいですか」との電話でした。みんなには、事前には知らせないで、サプライズに来たことにしましょうということでした。

6.5  文福 大きなからだの文福さんが会場に入ってこられたときから、はなやかというか、にぎやかというか、どこからか、「てんてんてんまり、てんてまり…」という文福さんのお囃子が聞こえてきそうでした。知らなかった人たちは当然びっくりです。
 参加者は、17名。今日が初日だったので、一人ずつ、近況報告をすることから始まりました。みんなテレワークの話など、家で過ごしていた日常を話しましたが、ひとり、このコロナ騒動の中で、入籍をしていた人がいました。吃音親子サマーキャンプに高校生の時から参加していた女性です。みんなが閉じこもっていたときに、このように、出会いがあり、新しい人生をスタートさせる人もいるということに、なんだかほっとしました。家族といる時間が増えて、料理の腕を披露した男性、子育てに参加できてラッキーだったという男性など、これまでとは違うひとりひとりの生活を垣間見ることができました。
 
 全員が近況報告した後、文福さんは、「にんげんゆうゆう」の番組が伊藤伸二と出会うきっかけだったこと、大阪吃音教室をひとつの舞台にしたNHKの「ハートネットTV」出演の話、栃木県宇都宮市のことばの教室の子どもたちとの交流など、吃音との縁を大切にして下さっていることが分かる話をして下さいました。僕たちと出会うまでは、吃音とは全く無関係に過ごしていた文福さん、でも、僕たちと出会ってしまってからは、どもりでよかった、世界がどんどん広がっていったと言って下さいます。
 コロナの影響で、イベントや高座がキャンセルになる中、仕事があることのありがたさを感じている、今できることをしていきたいと、前向きに語って下さいました。
 「今日は、〈どもだち〉に会いにきた、〈ドモラー〉とも言うけど」と、僕たちのことをいつも仲間と思って下さっている文福さんです。

 〈たぬき小屋から福もろ亭〉のYou Tube、すでに25ほどがアップされているようです。
 家族としか話していなかったので、「人前でしゃべりたかったです」と最後に話されました。そのことば通り、全体で2時間ほどの教室の、最初の30分はみんなが近況を語りましたが、残りの90分は、20年前の出会いからの長いおつきあいの話や落語家になった話、参加者からの質問に答えたり、参加者の感想を聞いたりして、「桂文福独演会」のような趣でした。最後に一人一人が文福さんの話に対する感想を話しましたが、それに対しても反応し、にぎやかな、大阪吃音教室の幕開けとなりました。
 そのときの話はまた、覚えている限り紹介しますが、今回はひとつだけ特に印象に残ったエピソードを紹介します。

 初舞台
 初舞台の話は初めて聞きました。文福さんの初舞台は、大阪の太融寺でした。師匠は桂小文枝(後の5代目桂文枝)でしたが、おかみさんが、和歌山のお母さんに初舞台を知らせて下さったようで、客席には、お母さんがおられました。そうでなくても、緊張するタイプで、初舞台で緊張しているのに、母親の姿を見た文福さんの緊張は最高に達し、途中までは順調に進んでいたのが、あるところでつまずいて、忘れてしまい、さんざんな初舞台になったそうです。お母さんも、これはもう話にはならんと思って、落ち込んで、帰ろうとすると、これから和歌山に帰るのは遠いから泊まっていくようにと師匠に言われて泊まったそうです。
 翌朝、お母さんは、師匠に「すみません、息子には噺家は無理です。どもるし、滑舌は悪いし、おまけに和歌山なまりもあるし、今から和歌山に連れて帰ります」と頭を下げたそうです。そのとき「まあまあ、そんなこと言わんと」と止められました。文福さんを弟子として育てた、もうすでに亡くなられた5代目桂文枝師匠のおおらかさに、僕たちは感謝しないではいられませんでした。そんなにどもりながら、落語家の夢を諦めなかった、初舞台のエピソードは、今日の参加者の心に残り続けることでしょう。
 文福さんとの出会いは、20年前になりますが、その話は次回に。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/06/06